中国本土⇒香港個人旅行解禁5周年

今日のDaily NNAを読んでいたら、中国本土から香港への個人旅行解禁5周年で、今年6月末時点までで累計3千万人を突破したとの紹介があった。
これを読んで、「もう5年経ったか~」と感慨深く思った。

SARSの影響で、香港の景気が極度に停滞していたのが2003年の事。
それから、2004年よりCEPAが施行され、その一環として、若干前倒しで中国本土から香港への個人旅行が解禁になったものだ。

あの時の香港は停滞していて、「この先、どうなってしまうんだろう・・・」と不安に思ったものだが、CEPAの宣伝効果と、個人旅行解禁による経済効果が起爆剤となって、みるみるうちに回復した。
回復しすぎて不動産相場があまりに高騰し、撤退する企業・飲食店が少なくなかったのは残念であるが、ともあれ、この5年間で、香港は見違えるようになり、元気が出てきた。

それと同時に、香港内で普通語を聞くことも当たり前になってきたし、人民元が大手を振って流通している。
政治というより、経済面での中国の影響が大きくなってきているという感を受ける。

何があっても、不思議とよみがえる香港。
この5年の経済回復も、香港のしぶとさを表す端的な例であろう。



因みに、2003年の夏~秋は、CEPAのお披露目セミナーで、香港貿易発展局の方々と一緒に、東京、仙台、山形、大阪(翌年に、名古屋、浜松、福岡)と、各地を回ったものだ。

そんな巡業の様な講演会は、大変楽しいものだった。
「山形・仙台は地酒が美味しかったなぁ~」とか、「名古屋は風邪で熱が出てふらふらななか講演して大変だったなぁ」などと、今でも思い出す。
あと、名古屋講演の時には、中日新聞さんに、僕のインタビューを大きく記事にして頂いたので、親元に知り合いから多数連絡があり、親孝行ができたようで嬉しかった(両親は名古屋生まれ・名古屋育ち)。

あと、大阪講演の時は、極度に過密スケジュールのなかの出張で、前夜9時に大阪入りし、翌日の講演会で1時間話すと、すぐに呼んで頂いたハイヤーに乗って香港に戻ったりとかもした。
慌しかったが、満足感もあった。

CEPA施行前後の時期は、香港の景気はまだまだの時であったが、僕個人としては、そんな楽しい思い出がたくさん詰まった日々であった。

何となくあの日に戻りたい気もするが、今年があの年よりもっと良い年になるように頑張ろう!
(今回はちょっと回顧調・・・)

雑学の本を読みふける

月曜日にBar Seedに行ったら、書棚に雑学bookが置いてあり、ついつい読みふけってしまった。
そこには、ピザにタバスコをかけるのは日本だけで、どこかの国の本には、雑学として、「日本ではピザにタバスコをかけるという奇異な事をしている」という記載が有るとか紹介されていた。
そうかぁ。
「確かに、ここ数年、チリオイルは置くけどタバスコを置かない店が増えたもんな」とか考える。
でも、タバスコかけたほうが僕は好きなのだが。
「好きだから何かけてもいいじゃないか!」とか読みながら熱くなってしまった。

あと、「(洋食を食べるとき)フォークの背にご飯を乗せるというマナーはない」とか。
これは有名だし、最近はもうやってる人いなくなったんじゃないかな。
でも、子供の時は、結構そういう人がいたので僕も習ってやったものだ。
小学校の頃から、この技が意外と得意で自慢だったものだが、今や誰にも威張れない業になってしまったものだ。

そんな事を考えて一人で読みふけっていたら、その本を貸してくれた。
なかなか楽しい本であった。

のんびりした週末に外貨管理規制強化の原稿を書く

朝起きたらちょっと頭が痛かった。
昨夜は楽しく飲んだが、少々飲みすぎたかな。
今日は酒抜きを決心。

とりあえず、11時半から近所の中華料理屋に行って飲茶。
二日酔いの胃に中華が少し重いが黙々と食べる。

食べ終わると足&全身マッサージに。
最近、マッサージ屋によく行く。
その甲斐あって、背中と首のごりごりは、随分緩和されてきた。
精神的にも回復基調なのが良いのだろうか。
1~2ヶ月前は、すごい顔色してたらしいので。


軽く昼寝をしてから、NNAの中国ビジネス講座の原稿2回分。
コンシェルジュ上海・北京版の原稿を執筆。

ちょっとタイミングが遅くなってしまったけれど、7月に入って出された、外貨管理規制に関る3本の通知に付いて解説した。

概要は、
① 輸入ユーザンス登記義務の強化(90日超の輸入ユーザンスに関して、金額基準無く登記が必要になっただけでなく、登記可能額の年度累計が、前年度輸入決済総額の10%以内に制限される(2008年10月1日より)。
② 輸出代金前受け金に関する登記義務の開始(2008年7月14日より)。
③ 輸出代金回収に関する照合義務の強化(輸出代金を直接外貨経常口座に入金できず、審査待ち口座に一旦入金、輸出実績との照合を銀行が行った上で、引き出し・元転が認められる)。

この様な規制強化の背景は、投機資金の流入規制という事であるが、①は、ユーザンス輸入の金額を極端に制限される結果に繋がり、影響が大きいであろう。
また、③に付いては、随分手続が煩雑化しそうだ。
そもそも、中国では、かねてより核銷手続という、通関実績と外貨の受け払いの照合が義務付けられているが、これが、更に規制強化される訳で、かなり神経質な対応だ。

2005年に、総量規制の観点より、外資企業の調達に大きな制限が加えられた事が記憶に新しいが(結果的に年末には緩和が行われた)、それに引き続く規制強化ということになるのであろうか。 

金曜の夜の元気一杯

夜はチムサッツイの元気一杯で会食。
亀一も参加したのだが、最終便(夜7時半発)で広州に帰らないといけないので、開始を6時にして頂き、前半部分だけの参加と相成った。

相手の方は、亀一とは初対面。
「本当に水野さんのブログ通りの人ですね」といつもの様なコメントを頂いていた。
亀一は、最近香港ポストに、「塞翁が亀」というエッセイを連載中。
亀キャラがすっかり定着してきた感がある。

揚げ物を大急ぎでかっ込んだ亀一がいなくなってからも、会食は継続。
次第に酔いが廻ってきて、「お勘定を済ませると、また気が変わり追加注文」という事が続き、お勘定を3回もするという珍しい事態になった。

会食中に僕は4回トイレに立ったのだが、その度に、色んな方から「水野さんですよね」と声をかけていただいた。
次のyuzenでも同じ。
動くたびに、「ブログ読んでます」、「連載読んでます」と声をかけていただき、素直に嬉しかった。

地域に溶け込んでいるなという実感と、色んな方に支えてもらっているなという気持。
そんなこんなで、温かい気持がしたものだ。

ここ暫く、疲れ切った心に栄養がしみこむ感じ。

この気持があれば、まだ頑張っていけると思う。
自分のやってきた事に自信を持って。

吉野家が満員

会社を出て、「SEEDでビール飲んでくかな」と考えた。
が、お腹が空いているので、吉野家で牛丼食べてから行こうと考えたら満員。
注文の列も長いので、断念してSEEDに直行した。

その報告をSEEDでしたら、「いつも混んでるみたいですね。数日前も他のお客さんが、同じ事しようとしたら、列が長くて断念したと言ってましたよ」と言われた。

連日吉野家が大盛況のようだ。
どうした事だろう。

昨今、物価が上がっているので、節約価格の吉野家が人気になっているのだろうか・・・

因みに、SEEDで宮野さんの非常食を食べさせてもらってひと息ついた。
有難うございました、宮野さん。

嵐の夜のバーは

Yuzen(後ろの壁が青白いのは雷のせい)

数日前の事であるが、Yuzenに行った。
ここは、香港では、SEEDの次くらいに僕が行くバー。
一人で考え事をしたい時は、バーが便利。

店に入って、1杯飲んだら帰ろうと思っていたら、突然の雨ですさまじい雷が鳴り出した。
香港の雷は、日本より派手で(すさまじい光と音で)、かなり怖い。
1997年に赴任したての頃、一人で寝室の窓際で寝ていたら、1時間以上すさまじい雷が鳴り響いて、怖くて震えていた事がある。

今では随分慣れたが、それでもちょっと心臓に悪いくらいの大音響である。

今日も、店の中まで雷鳴が響き渡った。
まあ、南方の天気なので、1時間もしたらおさまるだろうと思い、暫し飲み続ける。
0時前にはおさまったが、その間に、ウォッカを数杯飲んでしまい、ちょっと深酒気味・・・

嵐の夜のバーは、酒を飲みすぎる。

慕情は何故か西洋人のカップルだらけ

またもや慕情に行った。
一週間で二回目の慕情だ。
これは初めて。

夜8時過ぎに店に入った時には空いていたのだが、それから矢継ぎ早に客が来て満員。
それも、殆どが西洋人のカップルだ。

何事が起きたのであろうかとびっくり。
決して、恋人達向けの店という雰囲気ではないのだが・・・
何かの(西洋人向け)雑誌に取り上げられたのであろうか。

隣の席は比較的若いカップルで、可愛らしく最初から天丼などを食べている。
こちらもつられて、最初からバッテラ、細巻を頼んだら、比較的経済的に満腹になってしまった。

慕情も開店18年だそうな。
何事も続けるのは大変な事だ。

という事で、大将と記念写真。

広州で久々の焼酎バー

関係者で記念写真

引き続きバタバタしていたら、ブログ更新が滞ってしまった。
いかんいかん。

という感じで、今日は広州。
朝一番で花都に行って、あとは、広州近辺をバタバタ走り回る一日。

暑くて、スーツが汗だらけ。
華南の暑さは暴力的だ。

そんな一日を終えると、半年以上行っていない焼酎バーへ。
何せ、ここ暫く、広州の泊りが少ない(泊まっても、客と一緒で身動きが取れない)ので、行く機会が全く無かった。

ここは、日本人経営のカウンターバーが少ない(他に無い?)広州では貴重な存在だ。

店に入ると、「水野さんのブログ見てるけど、全然焼酎バー載らないじゃない!」といわれたので、「ごめんなさい!」と謝って、早速カメラを取り出して記念写真。
なにせ、この店に来る時には、既に酔っているので、写真を撮るのを毎回忘れている。

今回も焼酎の飲みすぎで、ちょっと頭が痛かったけど、一応明るく記念写真。
楽しげな記念写真ができた。

暑い香港

暑い。
香港は暑い。

最近、なかなか外出する時間も無かったので、久々にクライアントの方にご挨拶&簡易コンサルティングをさせて頂こうと考えた。
そんな訳で、香港・華南を歩き回る数日間であるが、街中を歩くのが辛い。
シャツはすぐに汗びっしょりになるし、10m歩くのが苦痛になる暑さだ。

これが、ビルに入ると強烈なクーラーなので、何日かこれを続けていると、風邪をひきそうな気がする。
注意せねばなるまい。

そんな感じで日中を過ごし、夜は久しぶりの慕情へ。
ここは、故張国栄が好きだった店としてもまま有名。

少々不便な場所にあるが、先日、傘を借りたマッサージ屋が近くに有るので、傘を返しがてら会食をここでする事に決めたもの。
店に入ると、丸紅関係者が(自分を入れて)3組。
さして広く無い店なので、これでは社食状態だ。
偶然というのはあるものだとちょっと驚く。

ともあれ、つつがなく業務会食もできたし、傘も返せたしで、実りある(?)一夜であった。

そろそろ眼を覚ます時だ

昨日に引き続き、メンタル面が前に出てきている。
昨日まで胃痛に悩まされていたのだが、何とかおさまってきたようだ。

ここ暫く、しっかり眼を通せていなかった、中国の新法規に眼を通す。
投機的資金流入防止の為の動き(輸入前受代金・90日超の延べ輸出代金に関する登記義務。輸出外貨回収チェックの強化など)がまたしても強まっており、「困ったものだ」と考える。
これは週明け早々に原稿を書こう。
あと、3月に原稿が完成して以来、僕側の理由で校正作業が進んでおらず、出版がのびのびになっている保税開発区マニュアル(保税区・物流園区・輸出加工区・保税港区・保税物流中心等の活用マニュアル)の作業もそろそろ再開しないといけない。

迷いを断ち切るために、1時間半サンドバッグを蹴りながら考えた。
今年2月以降、講演会も開いておらず、連載も必要最低限のものだけしか書けていない。
本も1年間出していないし、ブログだって、あえぎあえぎ書いていた時期がある。
(出すぎを反省した訳ではなくて)意図的な行動ではないのだが、結果からするとなりを潜めたような数ヶ月を余儀なくされて、色々な方にご心配もかけた。

そろそろ本調子に戻る時だ。

激動の中国。
僕のアドヴァイスを待ってくれている人がいる。
まだまだやる事がある。

うだうだ悩んでいる暇はないぞ。