中国の仕事は時間のロスとの戦い

福田口岸の駅と福田保税区

9月3日、まずは深圳・落馬洲から。
クライアントの方が長安鎮なので、深圳まで車で迎えに来て頂く。
深圳行きの電車は、羅湖行きと落馬洲行きの二種類あるが、落馬洲行きの方が新しくて綺麗だし、人も少ないので快適だ。
そんな訳で、落馬洲(福田口岸)でピックアップ頂く。

ここは、福田保税区のほど近く。
駅の向こうには福田保税区が見える。
とは言え、歩こうとすると、それなりに距離があるのだが・・・

深圳の駅でのピックアップは12時丁度だが、そこから東莞市長安鎮は、何だかんだで1時間くらいかかるので、車に乗って1時間。
打合せ開始は13時。
打合せを1時間半して、また車で駅まで行くと15時半。
16時発の高速電車で広州まで65分。
広州東駅からホテルまで歩いてチェックインすると、結局18時。
ちょっとE-mail整理をしたら会食。

香港を出発したのは10時なので、結局、移動時間が6時間。
中国での仕事は時間のロスとの戦いだ。
こんな時に、ブラックベリーで車の中でもE-mail処理ができるのが有難い。
あと、PC持ち歩いているので、文章も書けるし。

市長大廈で20数年ぶりの友人(元同級生)と会うと、天河で会食。
食事が終わると、焼酎バーで飲もうかと言う事に。
が、いつもながら場所が分からない。
う~ん、と考えて、ウェネバーの太田さんに電話をかけて、行き方を教えてもらおうとすると、「焼酎バーはまだあるんですが、お店の方は、新しい店を開いたのでもういません」との事。

「うわー!半分以上残ってて今度飲もうと思っていたウィスキーがおじゃんだ!」と絶望しかけたが、気を取り直して、新しい店の行き方を教えてもらう。
兄弟船の一階だ。
前よりゆったりしているのと、メニューが充実しているので良い。
他のお客さんが、そばを食べているので、頼んでみたらこれも美味しい。

こちらが今晩のキーマン

まあ、ウィスキーはなくなったが良しとするか、と思い、お勘定をしようとすると・・・
今晩のキーマンが登場。

それからの展開はこの次に・・・


広州で久々の湯船につかる

朝深圳経由で、東莞の長安鎮。
1.5時間ほどお客様と面談すると、広州に。
広州到着は午後5時。
広東省の仕事はなかなか時間を浪費する。

広州で宿泊するのは市長大廈。
ここに宿泊するのは、1年数か月ぶりだ。
起業1年は、ビジネスホテルに泊まると決めていたので、税サ込み300元のホテルに宿泊していた。

部屋自体は綺麗なので、中国語ができればさほど宿泊に支障はないのだが、湯船がないのがちょっと不便だった。
僕は、朝のんびり湯船につかって目を覚ますので。
一年が経過したので、久々に湯船のあるホテル。
ちょっとほっとする。

チェックインすると、偶然連絡がついた、大学時代の同級生と会食。
20数年ぶりの再開だ。

和やかに食事をして、焼酎バーで軽く飲んでホテルに戻る、
筈が、ちょっとしたハプニングで、バー2件ハシゴで、スナックに行く事に。

この経緯は、後ほど更新します!

ウェブ検索をしていると

久々に、自分の名前をヤフーとかグーグルで検索して見る。
会社のHPの整理(リンク先、表示等の修正)をしなくてはいけないので、その参考も兼ねて。

色々見ていると、知らない方がリンクはってくれていたりとか、紹介してくれていたりとか、「知らなかったぁ」という発見があり面白い。
しかし、最初に自分の原稿をウェブに載せたのが2001年。
何事にも蓄積というのがあるものだ、というのを、ウェブ検索していてもつくづく感じる。

ただ、リンクや紹介が、昔のM&Cという会社(既にない)のURL(mizuno-solution.com。これも既に閉鎖済)で、無効になっているのも多い。
まあ、時間の経過が解決するだろうが。
これは、会社を辞める事で影響があった、一番大きな事ではないかな。

因みに、今のURLは、http://www.mizuno-ch.com/です!

強く念じれば運命も変わるのかな

大学3年生の初めての海外旅行で、香港に3日ほど滞在した。
当時(1985年)不便だった中国本土での、長期滞在の後で到着した事も一因だが、すっかり香港が気に入って、「いつかここで働きたい」と思ったものだ。
入社試験(面接)の時も、「香港は夢がつかめる場所です」と、何度も言った気がする。

あと、29歳11カ月の時、横浜のベイブリッジからみなとみらいを眺めて、「知識を磨いて、売れるノウハウを身につける。そして何時か独立する」と言った。

それから月日が経ち、一応、香港で起業した訳なので、20代で言った事は、図らずしも実現した訳だ。
まあ、付随して、香港のオフィスは中国銀行ビルにとか、日本のオフィスはランドマークにとか(形容詞的な事)も言ったけど、これはあと数年かけて実現しよう。

30代以降に言った事もあるのだけれど、全力で仕事ができるうちに、言葉に出した事、胸に誓った事をどの程度実現させていけるか、というのは重要な事だ。

20代の頃の僕の発言も、根拠があった訳ではなく、憧れや若気のいたりという感じだった。
30代半ばの頃は、独立・知識を金にするというのを完全に諦めて、「やっぱだめだぁ」と、何度もため息ついていたものだ。
ただ、念じる力が強ければ、そういう風向きになってくるようだ。
僕の「香港赴任」、「コンサルティング開始」、「独立起業」というのも、多分に運が左右している。

香港赴任も、最初出たニューヨークの内示がひっくり返って決まったし、コンサルティングもたまたま当時の上司の思考と、中国進出ブームがうまく重なったのが僕にとって幸運だった。
独立起業も、何もなければ自分では決心していなかったろう。

口に出すと、それが運命の流れを作る様な気もする。

まだまだ口に出した事はある。
これから実現しなければいけない事は沢山ある。
まだ休めないな。