会社の適切な成長とは

一時期、高任和夫という作家が好きで、本はほとんど読んだ。
三井物産の審査マンから作家になった方なので、小説の中の主人公が住んでいる世界が、僕が育った環境と似ていて共感を持ったためだ。

彼の起業前夜という小説を、自分の起業前に何度も読んだ。
面白い小説である。
ただ、自分の会社が安定して、久々に読んでみると、受け取る側(僕)の印象が、随分変わっているのに驚いた。
これは、独立・会社立ち上げ過程で生じた、自分の考え方の変化によるものであろう。

再読時に感じた一番の違和感は、「上場は是。オーナー経営は非」というニュアンスが読み取れる事だ。
これは、主人公が証券会社で上場を担当する部門、という設定からすると、やむを得ない事かも知れない。
ただ、「オーナー経営は是、上場は非」という気はないが、両者の良し悪しを、客観的に扱うべきだと今では思う。
オーナー経営の欠点は、会社の命運がオーナーの能力・姿勢に大きく左右される事で、この部分での脆さを秘めているのは確かだ。
その点で、牽制が働く上場企業の方が、安定性、安心感はある。

ただ、上場企業が必ずしも素晴らしいかというと、一概にはいえなかろう。
金融小説などでは、「会社は誰のもの」と問われると、「出資者のもの(当たり前だというニュアンス)」という会話が出てくるが、今ではその模範解答を目にするといらだちを覚える。
会社は出資者のものであると同時に、社員(使用人)のものであり、顧客のためのものでもある。何より、社会の一部としての存在といる以上、出資者のエゴのみで運営が行われるべきではない。

出資者の目的がキャピタルゲイン、配当収益であれば、会社の基盤、安定成長よりも、短期利益(目先の利益)の極大に走るのは、ある意味必然である。
100億円の純利益があるにも拘らず、それを200億円にするために人員を大幅に削減する。
それに成功すれば、経営者が何億円の報酬を得るというのは、まさにそれを象徴する行動だろう。
これを経営の厳しさと、一言で片づけ称賛するのは、短期利益の極大(=出資者の利益確保)のみを価値基準とした意識操作だ。
利益の拡大は、停滞は衰退を意味する経済界において、会社の維持の為の必然であるのは確かだが、実態を無視した利益拡大欲求は、経済を破綻に導く。

純粋な社会主義(競争原理が働かない経済)がうまく機能しない事は、歴史が証明した形になっている。
ただ、特定の参加者のみが行う(利益の極端な集中に導く)資本主義、言い換えれば、歪んだ資本主義が、いま、是非を歴史に問われている気がする。

最近、米国で生じている格差是正のデモは、一部の富める者(力があるもの)の「やりすぎ」が導いたものだ。
この行動が、何かを変えるとは思いにくいが、一つのメッセージとして、真摯に受け止めるべきであろう。
市場経済(上場企業の会社経営を含めて)が、米国流のやり方に引きずられているが、正義の仮面をかぶった損益管理制度、開示制度、コンプライアンス制度が会社を疲弊させており、会社構成員の活力を奪っている気がする。
経済の「適正」な成長と会社のあるべき姿を、今考え直すべきではないか。