時代が世のあり方を検証する

10月10日の記事に付き、会社は出資者のものではないのかという、質問を受けたので若干補足しよう。
法的には、会社は出資者のものである。
それに関してとやかく言うつもりはないが、法律論だけでは語れない事が、世の中には多くある。

例えば、出資に関して言えば、出資者として忘れてはいけない事でありながら、往々にして目がいかなくなるのは、社員(使用人)には会社を辞める自由があり、顧客にも取引先を変える自由があるという事だ。
社員がいなくなれば、会社の機能は停止するし、顧客がいなくなれば、その会社の価値は地に落ちる。
法律も理論も大事で、これを基礎に世の中は回っている訳であるが、人の心を無視して実質論は語れない。

競争原理が働かない社会主義(純粋な社会主義)が失敗したのは、人の心の読み違いだ。
競争がなくても、人がモチベーションを持ち続けられる、腐敗しないという幻想が、歴史に問われたのであろう。
米国流の資本主義も、一部の富める人間側の理論になっていないか。
権力者が自分に都合の良いルールを作って、ゲームをしているのではないか。
限られた人間に富と権力が集中し、システムにゆがみが生じるのは、競争原理が働かない社会主義が崩壊した過程と同じだ。
資本の理論(金)とコンプライアンス(拘束)だけで、人のモチベーションを維持できると考えているのであれば、これも一つの幻想で、その是非が時代に問われるであろう。
今世界に広がっているデモは、その一つの問いかけであろう。

今回のデモが、世の中の何かを変えるとは思わない。
それでも、この運動は、今流の資本主義の流れに対する時代の問いかけであり、歴史の検証が行われる予兆である気がする。
資本主義が悪い訳ではない。
その在り方の問題だ。

まずは常識で考える事

「中国ビジネスは難しいでしょう」とか、「やり方が日本とは違っていて特殊なノウハウが必要でしょう」とよく言われる。
ただ、僕は二十数年中国と関わっているが、今の中国は、さほど特殊だと意識していない。

勿論、法律や社会制度が違う以上、日本のやり方だけで仕事を進める事ができないのは確かだが、これは欧米でも同じことだ。
僕は、駐在経験(居住経験)は中国だけだが、商社時代は、米国、中南米、欧州、中近東も担当した。
中近東のビジネスの方が、中国よりもはるかに難しい(日本の常識と異なる)と思う。
語学を学ばなければ、文字は全く読めないし(数字まで読めない)、思想が経済を大きく縛っている。
金利の徴収が認められない、富める者から貧者への施しが、税制に姿を変えて存続している等、宗教概念の理解が無ければ、経済制度を把握する事も出来ないわけで、その世界は日本の常識とは大きく異なる。
また、当時の中南米は、ハイパーインフレ進行下で、インフレ会計の理解が不可欠であった。貸借対照表の項目(非貨幣性資産と自己資本の部)を掛け算していくので、払い込みをしなくても、資本金が増えていくし、活動しなくても大きな損益が発生するというのは、非インフレの状況下では、その意義を理解する事もできないであろう。
米国だって、いざ担当すれば、驚くことは結構あった。

そんな訳で、日本しか知らなければ、中国が難しいと思うかもしれないが、中南米や中近東の経験があると、中国ビジネスは、日本人の常識でも判断できる、非常にわかりやすい環境だと思えるようになる。
少なくとも、中国ビジネスに関して僕が信念にしているのは、まずは常識で判断する事だ。
100%ではないが、中国ビジネスにおいても、日本の常識で考えておかしい事は、やはりおかしい(間違っている)場合が多い。
その意味で、人の説明を聞いたり、法律を読んだりした時、感覚的に「おかしい」と思ったら、中国は日本とは違うからと、単純に割り切らずに、納得がいくまで調べなおすべきだ。
結果として、解釈が間違っている、説明を受けた事実が違っている場合が多い。

違って当然、という思い込みは危険だ。
海外で仕事をする際に、常識判断は大きな武器になる。
その意味で、常識力を磨く事は重要だ。