社長の経験

僕が最初に社長になったのは36才になりたての頃で、丸紅厦門現法の社長だった。
かなり若くして現法社長になったので、少しは注目されるかなと期待したが、小規模な会社なので、全く話題にならずがっかりしたものだ。
今から思うと当たり前の話だが、初めての主管者の気負いが伺えて面白い。
社長という名刺が持てるだけで舞い上がっていた記憶がある。

では、初主管者のパフォーマンスはどうだったかというと、客観的に言えば、そつなくこなした、という感じなのだろうか。
勿論、僕自身は全力投球したし、短期間で再構築して、赤字会社を黒字にしたので、その意味では成功だが、果たして僕じゃないとできなかったかというと、そうでもない気がする。
それは、営業関係に、ほとんどタッチしなかった事が大きな理由であるのだが。
どういう事かと言うと、丸紅厦門は丸紅香港の子会社だったので、丸紅香港の営業部が直接厦門のスタッフに指示できる様、敢えて管理部門の人間を主管者にして、営業関連に口を出さない様にした訳だ。
商品主管を徹底させるために、傘下会社の主管者には、組織の世話(総務対応)だけさせて、実質権限を与えない(現地主管者のエゴ?を排除する)という事で、商社的な、縦割り(商品管理) or 横割り(組織管理)議論の上に立つ一つの考え方だ。
ただ、社内事情はさておいて、これでは税務的に問題が生じるので(代理人PEになってしまう)、駐在員事務所に組織変更し、オペレーションを変更して事態を整理したが。
若干話はそれたが、そんな訳で、僕の初主管者(3年間務めた)は、満足4割、物足りなさ6割と言った感じだろうか。
ただ、僕個人として思い入れがある福建省で現地法人運営を任された事は印象に残ったし、良い部下にも恵まれた。
一人一人の部下がよい人間だった。
また、丸紅香港の営業部も、前向きにサポートしてくれた。
忘れられない思い出であり、若くして社長になる機会をくれた当時の上司には、今でも感謝している。


次の社長経験は43才の時。
2006年の丸紅傘下のコンサルティング会社(香港、上海)の社長だ。
この時は、実質社内ベンチャーだったし(この位置付けは、後日論争になるのだが、それはさておき)、自分が作った仕事が会社設立に結びついたので、すごく意気込んでいた。
今から思うと肩に力が入りすぎだった。
ただ、基盤のあった香港だけではなく、上海も初年度から黒字にしたし、丸紅を退職するまでの2年間半は、利益拡大・予算達成(最後の年は半期予算)を続けた。更に、人材も育てたので、その意味では成功だ。
ただ、組織維持(利益確保)のためにはやむを得ない面もあったのだが、会社の管理に十分注力できず、組織としてのまとまりを欠いた。
また、社員のモチベーションも十分引き出してやれなかった気がする。
そんな訳で、反省点がきわめて多く、あまり思い出したくない経験だ。
それでも、あの会社があったおかげで、今の僕があるのは確かだし、僕の至らなかった部分は素直に反省して、今の会社経営に活かしている。
そう思えば、感謝すべき経験であり、機会をくれた人たち(特に、稟議を書いてくれた同期)には感謝すべきだろうと思う。

今は3回目の社長という訳だが、それまでの様な、大組織内の役割社長ではなく、本当の意味での社長だ。
それまでに過去の失敗や反省点は、有効活用している。
社長も一つの役割。
経験が生かされるのは確かで、経験があるほど上手くこなせる可能性が高くなる。
その意味では、組織の中で社長を経験させてもらったのはありがたかった。
過去の経験、反省がなかったら、ここまで順調にこれなかったと思う。
人間、無駄な経験はない。
毎年が経験と学習の連続だ。
経験する機会をくれた人たちに、感謝なくては。

人の意見を聞く、聞かない?

大学三年生で約1か月中国を旅行した時、心細いので、ちょっと多めの金額をトラベラーズチェックに替えて持って行った。
ちょっと多めとはいっても30万円程度だったと思う。
トラベラーズチェック作るとき、円建てのチェックをお願いしたら、銀行の担当者から、「米ドルの方が安全でしょう」といわて、それに従った。
中国に着いたら、日本円でも全く問題なかったが。

学生の頃でクレジットカードを持っていなかったので、1か月の旅行の総費用(ホテル代、交通費、食費等など)としては決して多くはないが、実際に使ったのは10万円弱なので、20万円ほどあまった。
ところが、日本に帰ったらプラザ合意で円が急騰し、学生時代の僕にとっては悲しくなるほど為替差損が出た。
銀行のいう事を聞かなければ・・・と悔やんだものだ。

その数年後、1990年に、語学・実務研修を終えて日本に帰った。
初任給は高くはなかったが、新入社員時代は深夜残業・休日出勤続きで金を使う時間がなかったし、研修生時代は、結構よい海外手当をもらった上で、(当時高かった国際電話以外は)金を使わなかったので、入社後の3年間で5百万円ほど貯金ができた。
時代はバブルまっただ中で、定期にすると5~6%の金利が付いたので、最長の5年定期とお願いしたが、担当者が「金融商品がどんどん出ますから、2年程度にして、乗り遅れないようにした方が良いですよ」と言うので、それに従った。
そしたら、2年定期が満期になったときは、バブルが崩壊して、金利がほとんどつかない状況になった。

人生の中で数少ない、(当時の年齢にしては)使うあてのないまとまった金があった時に、プラザ合意とバブル崩壊、という歴史的な出来事があって、更に、アドヴァイスに従ったら損をしたというのは、何とも間が悪いものであるが、随分印象に残った。

この事があってから、この種の判断は、自分でする様になり、人の意見は聞かないようになった。
まあ、財テクと呼べる程のお金はないので、ほとんど影響はないのだが・・・