かなり若くして現法社長になったので、少しは注目されるかなと期待したが、小規模な会社なので、全く話題にならずがっかりしたものだ。
今から思うと当たり前の話だが、初めての主管者の気負いが伺えて面白い。
社長という名刺が持てるだけで舞い上がっていた記憶がある。
では、初主管者のパフォーマンスはどうだったかというと、客観的に言えば、そつなくこなした、という感じなのだろうか。
勿論、僕自身は全力投球したし、短期間で再構築して、赤字会社を黒字にしたので、その意味では成功だが、果たして僕じゃないとできなかったかというと、そうでもない気がする。
それは、営業関係に、ほとんどタッチしなかった事が大きな理由であるのだが。
どういう事かと言うと、丸紅厦門は丸紅香港の子会社だったので、丸紅香港の営業部が直接厦門のスタッフに指示できる様、敢えて管理部門の人間を主管者にして、営業関連に口を出さない様にした訳だ。
商品主管を徹底させるために、傘下会社の主管者には、組織の世話(総務対応)だけさせて、実質権限を与えない(現地主管者のエゴ?を排除する)という事で、商社的な、縦割り(商品管理) or 横割り(組織管理)議論の上に立つ一つの考え方だ。
ただ、社内事情はさておいて、これでは税務的に問題が生じるので(代理人PEになってしまう)、駐在員事務所に組織変更し、オペレーションを変更して事態を整理したが。
若干話はそれたが、そんな訳で、僕の初主管者(3年間務めた)は、満足4割、物足りなさ6割と言った感じだろうか。
ただ、僕個人として思い入れがある福建省で現地法人運営を任された事は印象に残ったし、良い部下にも恵まれた。
一人一人の部下がよい人間だった。
また、丸紅香港の営業部も、前向きにサポートしてくれた。
忘れられない思い出であり、若くして社長になる機会をくれた当時の上司には、今でも感謝している。
次の社長経験は43才の時。
2006年の丸紅傘下のコンサルティング会社(香港、上海)の社長だ。
この時は、実質社内ベンチャーだったし(この位置付けは、後日論争になるのだが、それはさておき)、自分が作った仕事が会社設立に結びついたので、すごく意気込んでいた。
今から思うと肩に力が入りすぎだった。
ただ、基盤のあった香港だけではなく、上海も初年度から黒字にしたし、丸紅を退職するまでの2年間半は、利益拡大・予算達成(最後の年は半期予算)を続けた。更に、人材も育てたので、その意味では成功だ。
ただ、組織維持(利益確保)のためにはやむを得ない面もあったのだが、会社の管理に十分注力できず、組織としてのまとまりを欠いた。
また、社員のモチベーションも十分引き出してやれなかった気がする。
そんな訳で、反省点がきわめて多く、あまり思い出したくない経験だ。
それでも、あの会社があったおかげで、今の僕があるのは確かだし、僕の至らなかった部分は素直に反省して、今の会社経営に活かしている。
そう思えば、感謝すべき経験であり、機会をくれた人たち(特に、稟議を書いてくれた同期)には感謝すべきだろうと思う。
今は3回目の社長という訳だが、それまでの様な、大組織内の役割社長ではなく、本当の意味での社長だ。
それまでに過去の失敗や反省点は、有効活用している。
社長も一つの役割。
経験が生かされるのは確かで、経験があるほど上手くこなせる可能性が高くなる。
その意味では、組織の中で社長を経験させてもらったのはありがたかった。
過去の経験、反省がなかったら、ここまで順調にこれなかったと思う。
人間、無駄な経験はない。
毎年が経験と学習の連続だ。
経験する機会をくれた人たちに、感謝なくては。