慕情で夕食

18日は香港スナフキンの会であった。
前日の17日は、下見という訳ではないけれど、一人で慕情に行って食事をした。
頼んだのは、牛筋の煮込み、日本国産牛使用のチャーシュー、揚げ餃子。

そして日本酒。
ほのぼのとした食事であった。
一人暮らしだと、一人で食事ができる店の確保が大切だ。

手金ならやるか

商社、銀行に入社する新入社員は、「大きな事をやりたい(大規模な資金を動かす仕事をやりたい)」というケースが多い。
僕が商社に入った時も、「中国でエネルギー資源の開発をやりたい」と盛んに言っていたので、同じような発想かもしれないが。
ただ、今では、大きな資金を動かす事が、小さな実績を積み重ねていくより必ずしも有意義だとは思わないし(優劣がつけられないという意味で、規模の大きな仕事を否定する趣旨ではない)、更に、会社の金を1億動かすよりも、自分の金を100万円動かす(手金での事業投資)方に意義を感じるようになった。
これは人それぞれであろうが。

大企業の社員が陥りがちな問題は、資金を動かす事の痛み、事業投資の失敗の恐怖を感じなくなる事である。
若手社員の頃は、TVや映画の主人公になぞらえて、投資スキームを組んだり、プレゼンしたりする事に自己満足を感じがちだが、それは、(若干方向は違えど)僕自身にも思い出がある。
ただ、権限のない若手社員のうちなら良いが、一定の権限を持った人間が、「金ならいくらでも借りられる。こつこつ利益を伸ばすには限界があるから、良い会社を買収して連結利益を金で買うんだ」という指示をしているケースがあり(従わなかったが、僕もされた経験がある)、これはお門違いな発想だと思う。
買収も相互の信頼関係が必要で、マイナー出資なら、更に、出資者側の機能を評価してもらえなければ、コントロールが効かない出資になる。
資金の拠出だけでは、相互利益につながる買収は無理だ。

今、僕が行う出資は、1件数百万円単位の小さなものだが、手金での出資で痛みが伴う。
大企業の社員は、過酷な利益ノルマに追われ、安易な投融資に走る誘惑にとらわれる事もあるだろう。
ただ、迷った時は、「手金ならやるか」という、当たり前の問いかけを自分にしてみるべきである。
少しは冷静になれる気がする。