時代が世のあり方を検証する

10月10日の記事に付き、会社は出資者のものではないのかという、質問を受けたので若干補足しよう。
法的には、会社は出資者のものである。
それに関してとやかく言うつもりはないが、法律論だけでは語れない事が、世の中には多くある。

例えば、出資に関して言えば、出資者として忘れてはいけない事でありながら、往々にして目がいかなくなるのは、社員(使用人)には会社を辞める自由があり、顧客にも取引先を変える自由があるという事だ。
社員がいなくなれば、会社の機能は停止するし、顧客がいなくなれば、その会社の価値は地に落ちる。
法律も理論も大事で、これを基礎に世の中は回っている訳であるが、人の心を無視して実質論は語れない。

競争原理が働かない社会主義(純粋な社会主義)が失敗したのは、人の心の読み違いだ。
競争がなくても、人がモチベーションを持ち続けられる、腐敗しないという幻想が、歴史に問われたのであろう。
米国流の資本主義も、一部の富める人間側の理論になっていないか。
権力者が自分に都合の良いルールを作って、ゲームをしているのではないか。
限られた人間に富と権力が集中し、システムにゆがみが生じるのは、競争原理が働かない社会主義が崩壊した過程と同じだ。
資本の理論(金)とコンプライアンス(拘束)だけで、人のモチベーションを維持できると考えているのであれば、これも一つの幻想で、その是非が時代に問われるであろう。
今世界に広がっているデモは、その一つの問いかけであろう。

今回のデモが、世の中の何かを変えるとは思わない。
それでも、この運動は、今流の資本主義の流れに対する時代の問いかけであり、歴史の検証が行われる予兆である気がする。
資本主義が悪い訳ではない。
その在り方の問題だ。

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