2年間の出来事と今日の大阪

2年前の同じ場所からの夜景

思い返せば、大阪での講演会は2年ぶりだ(業界限定の講習会は昨年あったが)。
前回の講演会は、2011年3月8日で大阪商工会主催。
その前日も、大阪のシティプラザホテル14階のレストランから夜景を見ていた。
これがその時の写真。
その後、東京に移動して、3月11日に永田町の砂防会館で講演会をした時に大地震。
2度の激しい揺れのなか、100数十人の聴講者の殆どが、継続を希望されたため、最後まで講演を行った(4時間弱の講演会だった)。
あの状況下、継続を希望してくれた方々の熱意には、いまだに感謝の思いが有る。
僕自身も恐怖を忘れて必死に講演した。
講演後は帰宅ができず、赤坂で不安な気分で夜を明かしたが。
その翌週(4日後)には、天井が落ちた九段会館で講演する予定だったので、これは、当然延期となり、これからの日本はどうなるのか、という不安を抱えたまま、日本を後にし、香港に帰任した。
そして、2012年には反日騒動。
あの日、大阪で夜景を眺めている時は思いもしなかった事が、次々に発生した。
本当に大変な2年間であった。

そんな思い出はあるのだが、まずは、目の前の仕事をこなさなくてはならない。
朝6時に活動開始。
7時まで寝ていようと思ったが、今日の講演準備ができていなかったので、プレッシャーで目が醒めた。
ホテルで今日の講演準備、来週(23日)の講演会(企業研究会主催)のレジュメ作成をこなしてから、顧客訪問をして、講演会場に駆け付けた。
あまりの暑さに汗だくだ。
講演をこなすと、夜7時半伊丹空港発便で東京に移動し、夜11時に帰宅。
明日は東京で講演会。
飛行機搭乗前に、8月5日の日中投促の講演会(中国実務セミナー)のレジュメの督促E-mailが入った。
一つこなすとまた一つ。
叫びたくなる気持ちはあるのだが、自分が受けた仕事だ。
責任を持ってこなさなくては。
日中投促さん、すみません。
レジュメは週末に、必ず仕上げます。

大阪に駆け込み最後にくつろぐ

昨日は、朝から都内で面談数件。
昼食をとる時間が殆ど無く、立ち食いそば屋で食べたたぬきそばが、悲しいほどまずかった(昼食時間は10分間)。
一時は生きる気力をそがれかけたが、立ち直って、面談をこなし羽田に。
その後、飛行機で伊丹空港。
大阪到着後、マイドーム大阪に隣接するシティプラザホテルに到着したのは、夜8時。
移動中(飛行場・機内)も講演会のレジュメ作成に没頭し、ホテルに到着してからも作業を継続。
昼食をまともに食べていないので、「ひもじい」と悲壮な思いでワープロをたたき続け、ひと段落ついたのは、夜9時半であった。
空腹極まり、「再来月には50才になるのに、夜の9時半まで空腹を抱えて仕事をしなくてはならないなんて」と思ったが、よく考えれば、昨今の40~50代は、総じて夜まで仕事をしている。
部長クラスになったら、余裕の出勤・余裕の退社、というのは、僕が20代の頃の話であって、今は誰でもしている事だ。
そんな事を思い直して、自分は人より働いていると錯覚しそうな自分をたしなめる。
そんな錯覚、そんな思い込みがばねになる事もあるが、甘えにもつながる。
自分が特別だと思った時点で成長は止まる。

ただ、仕事を終えると楽しみが。
大阪宿泊時は、必ずシティプラザホテルに泊まる。
このホテルは、部屋は小奇麗なビジネスホテルという感じだが、大浴場が付いているのがありがたい。
これが楽しみで、大阪出張時は、必ずこのホテルに宿泊する。
のんびり風呂に浸かり、風呂場の隣にある食堂で酒を飲み、早めに寝るぞと、到着前から楽しみにしていた。

因みに、時間が有る時は、
フィットネスジム⇒大浴場⇒マッサージ⇒食堂
というコースになるが、昨日は、
大浴場⇒食堂⇒大浴場
という感じであった。
体力も無いし、時間も無いし。

ともあれ、亡中閑有り。
束の間幸せな2時間であった。