実は、辞表を出した時は、「誰か止めてくれないかな」という気持も少しあったが、思った以上に誰も止めてくれず、気が付いたら辞めていた感もある。
まあ、たとえ止めてくれる人がいても止まる事はできなかったが。
なぜ辞めたか、というのは、ブログでも何回か書いたので割愛するが、今では、「辞めるのは必然だった」と割り切っている。
安定収入を捨てるのは勇気がいるので、会社内でビジネスが継続できればベストであったが、その為には、本社で重要分野と認知されるまでビジネスを伸ばすしかない。
「水野のやっている事は、社会貢献とか広告効果があるし、資金不要で与信リスクもない。利益とは違う尺度で測るべきだ」、と言ってくれる役員も少なからずいたが、それは僕を個人的に知っている人間のひいき目で、利益追求型企業の中で自分のポジションを確立しようとしたら、利益を上げるしかない。
それを目指して頑張ったが、個人で数年間頑張ったからといって、更に、コンサルティングという業種で、大手総合商社の中でポジションを獲得するほどの利益(年間数十億円くらいの純利益?)を生み出す事はできなかった。
出来なかったというより、その後ろ姿すら見えなかった。
また、僕のこだわり(自分の知識と経験をベースとした分野で、業務のクオリティを保っていく)が、「何でもいいから利益を上げろ」という元上司達の意見と対立した面もあるが、このこだわりを捨てられないのは、僕の良さでもあり、限界でもあるのだろう。
結局、どちらが悪いという話ではなく、僕の思想と商社の文化の相性が、思われていたより良くなかったという事で、その意味で、退職は、自然の成り行きであった。
2008年に辞めていなくても、その数年後には、辞めざるを得ない状態になっていた可能性は高いと思う。
僕にとって幸運だったのは、僕の退職にあたって、元上司達がピント外れの行動(いやがらせ)を繰り返し、自滅してくれた事で、このため、辞める身でありながら、悪者にもならず(社内世論を味方に付けて)、理想的な形で退職できた。
感情抜きで冷静に見れば、一番得をしたのは僕かもしれない。
ただ、前述の通り、退職は理想の違いによるものが大きい。
その意味では、僕が退職を決める時に、「離れて協力した方が、お互いもっとうまくいくかもね」と言ってくれた元中国総代表、更には、「水野に対する感情を抜きにして考えれば、丸紅の中でコンサルティングをやり続けていく事には無理がある。コンサルティング会社を水野に売るのが、丸紅としてはベストのExit」と言った副総代表の意見が、一番冷静で的を得ていた事になる。
やはり、偉くなる人の判断は鋭い。