円形脱毛を発見してショックだ!

円形脱毛を発見。
これはストレスだなぁ。
公私共に悩みが多いし・・・

円形脱毛になるのは10年ぶり。
1997年に香港に赴任したての時になって以来。
まあ、経験上、放っておけば治るのが分かっているので、あまり動揺は無いけれど、やっぱ、悩みやストレスは体に現れるなと実感。

しかし、香港赴任当時は、せっかちな上司(当時の財形部長)に踊らされに踊らされて、徹夜や休日出勤は繰り返したものの、いまから思えばたいしたストレスは無かった気がする。
それから徐々にストレスは増した訳だけど(特に、ここ数年のストレスはひどい)、これで2回目というのは、精神も体もタフになったという事だろう。

勿論、赴任当時のせっかちな上司は、根っから自分の事を「気遣いと善意の人」と信じきっていて、それが、はた迷惑なことを矢継ぎ早にお願いしてくるので難儀と言えば難儀だったが・・・

例えば、10年前の金曜日の夕方6時半。
(当時の上司の発言)
水野君、僕は帰るけど、この仕事やっといてね。
いや、急がなくて良いから。ゆっくりやってくれればいいから。
月曜日の朝8時までに、会議出席者の部数分コピーセットして、僕の机の上に置いておいてくれればいいから。
(その後、自分って気遣いの人だなぁ、という満面の笑みをたたえて帰宅)。

土・日の休日出勤でやれというのは良いんだけど、気遣ってあげてるだろ!と自信たっぷりに言わないでくれよなぁ、という感じ。
悪い人ではなかったけれど。

当時は、こういった指示の連続が僕の(当時の)円形脱毛につながった訳だが、この上司自身の思い込みの強さは、ある意味たいしたものだった。
あれだけ思い込みが強ければ、人生幸せだろうし、円形脱毛にはならないだろう。
ちょっと見習おうかな!?

意気盛んな亀一が現れ広告写真を撮る

亀一がひょっこり出張に現れた。
現在、M&Cでは、ホームページの大改定と、中国情報SNSの開発をしているので、その打ち合わせの為である。
亀一は、ZA Shanghai、時事通信のリレー執筆に加えて、香港ポストの連載も決まった(「中国ビジネス塞翁が亀」というタイトルで、もうすぐ始まる模様)様で、意気盛んに、のしのし歩いてオフィスに入ってきた。

男3人で撮った広告写真はあっさり没になる

打ち合わせの途中で、「M&Cの広告枠をWheneverさんから貰いましたので、写真を撮りましょう」とカメラを取り出す。
では!とジャケットを着ると、「ひゃひゃひゃ!水野さん、新地にいるような人って感じですね。かたぎには見えないですよ」と笑っている。
シャツのせいだな。
写真撮ると分かってりゃあ、もう少し地味なものを着てくるものを!

いいから撮るぞ!と号令をかけ、その場にいた水本君も合わせて3人で写真をとるが、どうにもコンサルティング会社の写真には見えない。
水野、水本、亀一の取り合わせがどうにも一体感をかもし出さない。

領家さんを入れて何とか完成(コンサルティング会社っぽくないと言う点はあまり改善されていない)

「これは、女性も入れた方が良いぞ」という話になり、急遽領家さんを呼び寄せ4人で撮影。
写真を撮っている堀江さんが、何度も噴出し(何故だ!?)かなり時間がかかったが、一応、無事撮影終了。
堀江さんが笑い終わると、水本君が、「中腰で足がぶるぶる震えてきます。電気椅子の様です」と悲鳴をあげ、亀一が、「電気椅子じゃ死んじゃうでしょ。空気椅子でしょ!」と突っ込んで、またもや大笑い。
ただ、水本君は、「大阪じゃあ電気椅子って言うんだ!」といって譲らない。

完成した写真は、亀一・水本君の顔はおかしいし、いまいち、コンサルティング会社っぽくないという感は否めない。
とは言え、面子が変わらないから何度撮っても同じだし、男3人よりはよっぽどましだからこれでいいや、と消極的に納得してこれを使う事にする。


これをみると心が和む

撮影終了後、デスク上のリラックマの写真を撮影。
成瀬さんが、広州を去り際に贈ってくれたもの。
これが机の上にあると、心が和んで良いね。


人生は中国ビジネスよりも難しい

夜の便で上海⇒香港に移動。
いろんなことがあってぐったりしたので、空港でビールを2缶飲んで、機内でウィスキーを貰い、「しんど~」と思いながら移動。

思い起こせば、会社を辞めようかどうしようか真剣に悩んで、体調を崩したのが2005年の春の事。
その後、丸紅100%出資でM&C(Management & Consulting)という会社ができたのが2006年。
これで話が収まったかと思うと、やはり、商社の子会社としてのコンサルティング会社というのは、文化の違いで難しい。

守秘義務、顧客情報は出資部門にも非開示という原則は理解してもらえるようになったが、「何で物を売らないんだ」という議論が繰り返し語られたりしてげっそりする。
「弁護士や会計士も物売らないじゃん。議論するまで無いでしょ」で打ち切りたい議論だ。

会社、仕事、etc。
人生はいろいろ難しい。
人生ってのは、中国ビジネスよりも難しいよなぁ、というのが最近の実感。

癖のあるメンバーで会食をして2次会は分解する

月曜日から上海に入って業務中。
週末に、中国ビジネス解説用の原稿を約9千字書き上げたら、力尽きてブログが書けなかった。
すみません。
中国ビジネス解説用に書いた原稿は、「転廠に関る増値税の計算方法」というもので、不徴収・不還付を採用している場合と、国内課税方式を採用している場合では、各々どういう増値税の計算をするかというのを、計算例を使って解説したもの。
ちょっと面白いと思うので、ご興味のある方は、中国ビジネス解説でご覧下さい(と言っても有料コーナーですが・・・)。


さてさて、上海での出来事。
月曜日は、香港⇒上海の移動途中で沖縄の本を読んだら、無性に沖縄料理が食べたくなり、食べる相手を探そうとNNAの三井さんに電話。
「沖縄ではありませんが、東北料理(中国の東北)を食べてるんで来ませんか?」と誘われ、沖縄料理は断念。
水餃子、葱油餅などをたくさん食べる。

火曜日は、金さん、三井さん、コンシェルジュの望月編集長、花木蘭の大内さん、悪女という癖のあるメンバーで会食。
金さんから、「水野さんのブログに、水野さんと大西さんと僕の3人で、仮面舞踏会を踊ってる写真が出たので、何人もの知り合いから、踊ってただろと言われましたよ」と言われ、三井さんからは、「酔って水野さんを呼び出してとんずらしたのはあなたですか、と色んな人から言われます」、とブログ被害を訴えられる。
会食後は、カラオケ(キャシュボックス)派と花木蘭派に分解。
「歌いたい!」という金さん&水野と、「男は歌なんて歌うもんでねぇ(←イメージ。本当にそう言ったわけではありません)」という三井さんの意見が分かれたため。
参加者のマイペースさが分かるような逸話であるが、無事、金さん・悪女・水野がキャッシュボックス。残りは花木蘭に移動。
キャッシュボックスで金さんとチェッカーズを機嫌よくはもる。

水曜日は、藍屋で念願の沖縄料理を食べる。
力尽きて、夜9時には就寝。

亀一の文章センスが今ひとつわからない

「中国ビジネスコンサルタントができるまで」は、一旦、香港書店ランクのベスト10から、落ちたものの、その後、復活。
1位は取れないものの、2週続けて圏内に入っているのでありがたい限り。
ご購入頂いた方、ありがとうございます。

そんな時、とあるフリーペーパーが、好意で本の紹介を載せてくれることになった。
その話を持ってきたのは亀一なので、彼が紹介文も書いた様であるが(既に、発行されたのを僕は見た)、こんな紹介文だった。


振り返れば、不安と焦りの連続だった・・・
中国ビジネスコンサルタントの草分け的存在である水野真澄氏の、苦戦と奮闘の20年を綴った物語。
「ここで襲われたら一巻の終わりだ・・・」。
「財務部長は、ひゃ~と女性のような叫び声を上げ・・・」
等、笑いと感動の20年間を紹介。
(以下、略)

確かに、「ここで襲われたら一巻の終わりだ(昼の宴会の飲みすぎで、福州から広州まで一晩かけてタクシーで強行したくだり)」、とか、「財務部長は、ひゃー~叫び声を上げ(7年ぶりの福建省訪問の折、廈門から福州まで自動車に乗ったら、恐ろしい暴走ぶりで、同行の上司が叫んでいた)」という記載はあるのだが、本筋とはまったく関係ない
更に、これでは、笑いと感動どころか、笑いだけである。

とは言え、妙に印象に残るのも確かであるので、これを狙って書いたとしたら天才的だが、そうでなければ単なる馬鹿である。

評価が難しい紹介文であったが、読んだ途端、不覚にも大笑いしてしまった。
う~ん。
亀一。いまだにつかめん男である。

香港行きの飛行機で山崎17年を飲んでのんびり

夜便で日本に移動した。
成田で「山崎」の17年を買って機内に持ち込む。
飛行機は幸いにがらがらで、窓際3席を独占できた。

のんびり映画を見ながら山崎を飲む。
つまみは、やはり機内に持ち込んだサラミ。
リラックスできて良い。
途中で映画に飽きたので、横になって睡眠。
こんな感じで移動できると疲れない。

今回の日本出張は、比較的スケジュールにゆとりを持たせた。
ここしばらく、精神がくたくたで、さすがに「メンタルが危ない」と自己判断したため。
今回の状況は、さすがに自分でもちょっと怖くなった。
ただ、うまく自己調整が効いてかなり回復。
結構、簡単に回復するものだと驚く。

宿泊したリーガロイヤル早稲田は、初めて宿泊したホテル。
大隈庭園に面していて、夜は、蛙の鳴き声が「げろげろ」と聞こえる。
これが意外に癒される。
なかなかよい感じであった。


文字通り大汗を書きながら加工貿易勉強会を実施

会場は考えられる限りのぎゅうぎゅう詰め

日中投資促進機構の主催で、加工貿易に関する勉強会を開いた。
元々、3月末にNNAから出版した、「管理者の為の加工貿易マニュアル」は、日中投促の豊田さんのアイデアなので、「一度、ここで勉強会をするのも良いな」と思って企画して頂いたもの。

日中投促さんの定例の勉強会は、同機構の会議室でやるものという事で、キャパが30人程度。
これに、告知後1週間で70人申し込みを頂いたらしく、お断りするのに大変だった模様(参加いただけなかった方は、申し訳ありません)。
そんな訳で、30人用の部屋に60~70人をぎゅうぎゅう詰めに押し込んで、机も置けない状況で講演開始。
空調も、全館空調で調整が聞かないし、窓を開けると外の音がうるさい、という理由で締め切り。
暑い。蒸し風呂のようだ。

今回の勉強会で散々ねたにさせて頂いた豊田さん(顔出し不可)

話し始めて10分間で、汗が流れ出る。
聞いている方々が、ぼーっとして、睡魔に襲われているのがよく分かる。
眠気を醒ます為に、聴衆の方が眠たそうになると、日中投促の豊田さんのネタを披露して、雰囲気を変えようと試みる。
● 例えば、(酒を飲んだ豊田さんに説教された人が実に多いので)今度、「豊田さんに説教された同志の会(飲み会)」をやりましょうなどと呼びかけ、会場でうろたえる豊田さんの様子を見て、楽しもう(⇒究極的な眠気を醒まそう)と言う苦肉の策。

そんな中、話は、「加工貿易の基礎⇒転廠実務⇒最近の動き⇒転廠に関わる増値税納税方法⇒物流園区と保税区を活用した加工貿易品の商流の作り方⇒加工貿易今後の展望」と話が進む。
全工程2時間。
その後、会場に残って、1時間、参加頂いた方の質問に対応する。
話してる方も暑くて地獄だったが、聞いていた方はもっと辛かったであろう。
次回は、もう少し大きな会場でやりましょう!

あ~辛かった、
ともかく、暑くて体力を消耗した勉強会だった。
2Kgくらい痩せたのではないか。
でも、打ち上げ懇親会で、ビールにサワーを飲んだので、結局帳消しか・・・


食べたかった本鮪のかま焼き

ちなみに、打ち上げ会場の居酒屋に置かれていたまぐろの「かま焼」。
おいしそうだったけど、食べられず。

蘇州総合保税区活用方法研究セミナー開催します

一週間近くブログを更新せずに、申し訳ありませんでした。
ちょっと、疲れてへとへとになってました。
体力というよりはメンタルで、しばらく文章を書きたくないという状況にありましたが、意外と立ち直りが早い様で、徐々に回復基調に転じています。
この数年、この繰り返しです。

さて、セミナーの告知ですが、6月28日に蘇州で講演会を開きます。
蘇州シンガポール園区、総合保税区等と協力して、総合保税区の活用方法を、先日の外高橋保税区・物流園区セミナーと同様の形式で解説します。

総合保税区とはなにかというと、蘇州の保税物流中心B型と輸出加工区が統合した上で(機能を統合した上で)、保税区機能を追加した運営を行う事が認められた開発区です● 蘇州工業園区が保税港区総合保税機能を有する税関特殊監督区域を試験展開する事に関する国務院の批復:国函[2006]128号)。

結果としてどうなるかというと、区内に物流会社、生産型企業、貿易会社等が開設できるようになるので、「外高橋保税区と物流園区を統合した機能と類似の機能を持った開発区」になります。
旧蘇州保税物流中心B型は、物流園区と類似の機能を持っていますので、蘇州周辺で加工貿易を行う企業が、香港代替(香港一日遊と呼ばれる、加工貿易貨物の国内販売等を目的とした暫定輸出⇒再輸入の経由地)として活用するのに適しています。


では、保税物流中心から総合保税区になった事で何が変わるのか。
どの様な活用方法があるのかを、「総合保税区」、「加工貿易に詳しい物流会社(EH)」、更に、僕が解説して、Q&Aをやろうというものです。

今回は、蘇州園区が管理等の会議室を提供してくれる事もあり、「参加費無料」。
上海からは送迎バスを出す予定ですので、是非、ご参加下さい。
お申し込みと詳細はこちらです

ちなみに、現在の質問は以下の通りです。
1.蘇州総合保税区(旧、保税物流中心)の管理規定は何ですか?
  総合保税区と改称されましたが、新しい根拠規定はでたのでしょうか。
2.総合保税区と改称されましたが、従来の、保税物流中心B型との違いは何でしょうか。
3.総合保税区は、貿易会社等の受け入れも行うと言う事ですが、総合保税区に設立された貿易会社は、外商投資商業領域管理弁法(8号令)に基づく販売流通権を取得できるのでしょうか。
4.区内に設立された商業企業(販売会社)は、要件を満たせば、増値税の一般納税義務者になれるのでしょうか。
5.総合保税区は、物流、貿易会社以外にどの様な形態の企業を受け入れるのでしょうか。


6.総合保税区の貿易会社は、区外に分公司を開設できますか?根拠法はありますか?
7.分公司を開設できるとした場合、営業性・非営業性の双方が可能ですか?
  開設した場合、企業所得税、増値税、営業税、個人所得税の納税地は各々何処になりますか?営業性・非営業性で納税方法に違いは有りますか?
8.総合保税区の企業所得税率は何%ですか?
2008年1月の企業所得税法改正以降は25%と理解しますが、現在(2007年末まで)は何%ですか?また、外高橋保税区の様な財政補助(企業所得税、流通税の一部還付)は有りますか?
9.加工貿易貨物を総合保税区に搬入し、再度、中国国内に戻すオペレーション(香港一日遊の代替)は、総合保税区でどの程度盛んに行なわれているのでしょうか。
また、加工貿易貨物を搬入し、再度、区外に搬出するまでにどの程度の標準日数がかかりますか?因みに、外高橋物流園区は、4日程度かかるようです。
10.物流園区には外貨管理規定(保税物流園区外貨管理に関する問題の通知;外貨管理局・匯発[2005]92号)がありますが、保税物流中心には類似の外貨管理規定はありますか?
11.物流園区には、「外国企業の貨物、保税区企業の貨物、中国企業の貨物(非保税区の加工貿易企業、更には非加工貿易企業)」の全てが保管可能と規定されていますが、総合保税区はどうですか?


12.物流園区では、園区内に中国企業が在庫を持ち、これを他の中国企業に販売する場合、中国居住者間の決済でも外貨決済ができる(送金に際しては、園区内の物流企業に対する保管協議書の提出を要求される)と規定されています。総合保税区ではどうですか?
可能とすれば、必要となる書類は何でしょうか。
13.中国一般区の貨物を総合保税区に搬入した場合、決済は、外貨ですか人民元ですか?
  形式による違いがあれば、場合に分けて教えてください。
14.外国⇒総合保税区⇒中国一般区という形で貨物を輸入したとします。
  総合保税区で貨物を引き取るのは、蘇州総合保税区の貿易会社(ケース1)、外高橋保税区の貿易会社(ケース2)とします。共に貿易権は保有しています。
この場合、
● 中国企業⇒保税区・総合保税区企業に対する決済
● 保税区・総合保税区⇒外国企業に対する決済
が生じます。
保税区・総合保税区企業から外国企業に対して外貨決済を行なう場合の必要書類を教えてください。

宇宙人成瀬さんが日本にかえる

宴会の開始(鍋はとんこつスープとトムヤムクン)

とっぴな発言とキッカイなリアクションで、一時期ブログのよいネタになってくれた宇宙人こと成瀬さんが、帰国する事になった。
広州から香港に出てきて一泊するというので、送別会を開く事にした。

例のごとく、亀一と一緒の来港である。
送別会の会場は、予算の関係で香港火鍋(有骨気)。
個室を取ると、最低消費がHK$200という事で、今回はHK$ 1200(6人)。
鍋でHK$1200使えるかなぁ、と思っていたら、あっさりHK$1500を超えてしまった。
やはり香港の物価は高い。

参加者は6人なのであるが、絶対ブログに載りたくない人(浜田さん)、できれば載りたくない人(堀江さん)、まったく気にしない人(領家さん・成瀬さん)、写真を写す人(亀一)という構成なので、特定の人ばかり写る事になってしまったが・・・

ビール売りの女性のように写る成瀬さん

僕の本を買って勉強するという成瀬さんが、宴会前に、僕の本を読んで「ほっほっほっ!」と一人で大笑いしている。

「僕の本を読んで笑う人は珍しいね」と言うと、

「だってぇ~、ぜんぜんわからないんですもん!」との返事。

このピントのぼけたリアクションが、香港・華南で聞けなくなるのはさびしい。
引き続いて、
成:水野さんには、いろいろな言葉を教えてもらいました
水:なんだっけ?
成:船頭が山登りするとか。
水:それは、船頭多くして船山に登るだろ
成:あとは憶えてないけどいろいろ。
水:何にも憶えてないんだ!?
という、これまたピントのぼけた会話が続く。

亀一が撮った自己満足写真

こんな会話を続けていたら、亀一も笑い癖がついてきたようで、写真を撮りながら、
「ほっほっほっ!」と笑っている。

どうしたんだと聞いたら、「水野さんたち3人が鍋で煮られてるような写真を撮りましたよ!」としょうもない事でおお喜び。
こんな事で喜べる奴は幸せである。

かなりレベルの低い会になってきたぞ。

最後の集合写真

そんな感じで、送別会は無事に終了。
成瀬さん、日本での活躍を期待してます。
頑張って!

洗濯も人に頼む事にした

自分の性格を分析すると、強い部分と弱い部分が両極端であるような気がする。
一度思い立った事を、ともあれ迅速に実現していく精神力と行動力は、自分でも「結構強くてよいな」と思うのであるが、その反面、極端に孤独を恐れるところがあり、これは、自分の非常に弱い部分である。

特に夜は、一人でいると、孤独と不安を強く感じる。
夜に電気を消して寝られないとか、酒を飲まないと寝られないというのは、そんな弱さがゆえである。

でも、子供の頃は、そんな事はなかったし、逆に、一人でいるのが好きだった。
社会人になって、特に、福州での実務研修で、極端な孤独感に苛まれたのがトラウマになっているようだ。
あれから17年。
いまだに治らない(ひどくなっている)のは、いかがなものか。
禅寺にでも行って、精神修行した方がよいのではないかと思ったりもする。

そんな訳で(前置きが長すぎてつながりが悪いが)、上海では基本的に毎晩宴会が入る。
入らなくても強引に入れる。
そうすると、帰宅が遅くなるので、洗濯ができない。
そんな悪循環が続いていたが、とうとう音を上げて、掃除を頼んでいるおばさんに、洗濯も頼む事にした。
実は、前住んでいた部屋で、通いのお手伝いさんに掃除・洗濯を頼んだら、当たり前のように、スーツが洗濯されて、部屋に干してあった。
それ以降、人に洗濯を頼むのは控えていたが、今度の人は、掃除振りを見るにつけ、なかなかしっかりしているようだ。
これで、上海生活が、少しは楽になるか・・・

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ