月別アーカイブ: 2009年8月
早稲田源兵衛でゼミOB会
とは言え、今日も、5件の打合せ(コンサルティング)が待っている。
朝早くから始動。
地下鉄で移動できる場所ばかりなので、バタバタ都内を駆け巡り、昼食は立ち食い蕎麦。
Yシャツもスーツも、汗でびしょ濡れのぼろぼろ。
そんな感じで1日頑張って、たどり着いたのは早稲田の源兵衛。
早稲田卒なら誰でも知っている店だ。
焼鳥屋なのかな?居酒屋なのかな?
分類がちょっと難しい。
ジャンボシューマイや大きな卵焼きが名物で、学生の時は美味しいなぁと思っていたが、社会人になってみると、味自体は特段どうという事はない。
それでも、雰囲気に惹かれて、行ってしまう店である。
今日はゼミの非公式なOB会だ。
何のゼミかと言えば中国経済。
そもそもまとまりのないゼミだったし、僕はもっとマイペースなので、ゼミの仲間と集まるのは卒業後初めてだ。
なにせ、卒論原稿用紙20枚(短い!)、ゼミに入るのに優の数を問わない、ゼミの発表は2年間で1回だけ。という破格の脱力モードに惹かれて入る人間が多いゼミだ。
かく言う僕もその一人だ!
因みに、卒論の書き方を説明する時に、教授が、「何枚書くかは勝手だけど、読む方の身にもなって下さい。あまり長いものは書かない様に。せいぜい20枚程度だねぇ」とくぎを指す。
基本的に生徒の書くものにまったく期待していないし、僕が書いた卒論も、期待には到底値しないものだった。
書いたのは、中国の人口政策(一人っ子政策)。
ゼミに入ったのは1984年であるが、その頃は、改革開放路線が始まりたてで、まだ中国が全然ブームになっていない頃であった(少なくとも、経済的には)。
シルクロードブームとかはあったけど。
ビジネスインフラ的に言うと、経済特区と、沿海開放都市はあるが、沿海開放区はまだできていない(長江デルタ、珠江デルタ等の広域指定がされていない)。
保税区もない。高新技術開発区もない。
浦東は原っぱ状態で、ビルが殆ど建っていない。
そんな時代の中国経済ゼミである。
ゼミ生も、くせがある人間、マイペースな人間、勉強しない人間が結構いた。
マイペースな山田君がフリーライターになっていたのは想定通り。
でも、本も出版して頑張っている。
堅実と思っていた徳永君も、会社を辞めて今では独立。社長だ。
まあ、僕も会社を辞めた一人だから、人の事は言えないけれど、ともあれ、外見はそれなりに変われど、中身は全然変わっていない。
徳永・山田の果てしなく続く議論、というのが、ゼミ後の飲み会時の名物だったが、今回も、スーパードライとサッポロビールに関して、延々と議論を繰り広げている。
20数年前にタイムスリップした様だ。
基本的には、議論するのが目的なので、話題は何でもよさそうだ。
飲み終わったら、山田君が、ラーメン食うか、という。
その結果、(僕としては近めの)早稲田駅に行かず、高田馬場まで付いていく。
と、馬場に着くと、「もう疲れちゃったよ。ラーメンやめよ」との発言。
これまた、学生時代のままのマイペースだ!
「馬場まで20分も歩かせた責任取れ!」と言って、無理やり全員を、栄通りのラーメン屋に連れていく。
食べ終わったら、数枚写真撮影。
山田君、徳永君、本当に良いやつなんだけど、外見は堅気じゃない。
夜のラーメン屋でサングラスをかける山田君。
ちょっと恐いぞ。
餃子にビールは日本出張の醍醐味だ
ブログが全然更新できていない。
さすがに気が引ける、という事で、いつもの作戦に出る事に。
つまり、食事の時、写真を撮って、そのままアップしてしまう、という手である。
今日の会食は、元同僚の松園君。
4月まで上海に駐在していた2年次後輩で、坊主頭で顔は怖い。
渡辺謙と織田無道を足して2で割った様な感じと言えば分かりやすい。
若しくは、ラストサムライの渡辺謙が、そのまま出てきた感じだ。
そんな強面の男が、ため息を付きながら、悲しげな声で話したりするのが、ミスマッチで面白い。
丸紅の前で待ち合わせ。
退社時間に集合だったので、竹橋の駅の出口から丸紅までの数十メートル、1~2歩歩くたびに、「お~水野!」といろんな知り合いから挨拶され、ちょっと話したりしてするので、50m進むのに、20分くらいかかってしまった。
松園君曰く、「竹橋に着いたという報告を貰ってから、どこで道に迷ってるのかと思いましたよ」との事。
会食場所は、僕の指定でラーメン屋。
どこに行きます?
と聞かれたので、「サラリーマン時代に、会社帰り餃子とビールで愚痴言ってた様な店が良い」という指定をして、探してもらう。
指定通りの店を探してくれた。
取り合えず、餃子。
このパリッとした餃子が、なかなか中国では食べられない。
大変おいしい。
それから、バンバンジーを食べ、ニンニクの茎炒めを食べ。
紹興酒を飲む。
起業して問題なのは、ラーメン屋でビールを飲みながら、上司の愚痴を言えない事である(上司がいないので)。
そんな訳で、サラリーマン時代のだいご味にはかけたが、まずまず楽しい会食であった。
日本到着後は会食に直行
一週間の日本出張。
最初は、一年間全力疾走で頑張ったので、ちょっとのんびりめのスケジュールにして、日本を堪能しようと思ったのであるが、いざ、予定を決めてみると、スケジュールが続々と入り、かなり過密スケジュールになった。
まあ、貧乏性の僕には有難い事だ。
先ずは、初日。
午後4時に日本到着。
前日、首の手術をしたので、重い荷物を持つと首の縫い目が広がりそうで怖いので、めったに使わないトランクをごろごろ転がして都内に移動。
宿泊ホテルは、モントレ半蔵門。
初めてだが、一休ドットコムで検索したら、安かったので予約した。
会食は18時半から品川なので、チェックインしてから品川に行こうと思ったが、道路が混雑していてリムジンが進まず。
赤坂のオークラホテルに着いたところでバスを下してもらい(この時点で、バスに乗ってから2時間)、タクシーで品川に直行。
赤坂から品川までは空いていたので、なんとか15分遅刻で会食スタート。
日本の生ビールは美味しいもんだ、といつもながらの到着初日の感動を味わい、焼き鳥を食べまくる。
早めに会食が終わったので、タクシーに乗ってホテルチェックイン。
安くて綺麗で、良いホテルであるが、タクシーの運転手に言っても、殆ど場所を分かってもらえないのが難点だ。
会食の酒が控えめだったので、近くの酒屋でウィスキーの水割り缶を二つ買って、のんびり飲みながら館内映画(ハンサムスーツ)を観賞する。
見終わったらそのまま就寝。
取りあえずは、和やかな1日。
まいったなぁ
書けなくなり、直って、また書けなくなりという状態で、先週は、4日間くらい更新できない期間があった。
ちょっと、(個人的に)書く体制、というか気合ができて、数回分原稿書いて、定期的に載せていこうか!とか思っていた矢先だったので、出鼻をくじかれた感じ。
そしたら、急に興が醒めて、書きためたブログ原稿を没にした。
その途端、どっと仕事が押し寄せ、昨日(17日)には、ちょっとした手術(まあ、手術とは呼べない程度のものだけど)をして夜まで少しばかり痛かったり、更には、今日(18日)から日本だったり・・・
押し寄せる仕事と雑事。
またもやブログの更新が危ぶまれる・・・
そんな状況で、取り合えず、出張前の最低限の仕事を済ませたら午前1時半。
明日(今日)は6時起きだから、そろそろ寝よう。
日本でも過密スケジュールだ・・・
運命の道
それが、「運命の道」というものだ。
主人公が歩いていると、3つにわかれた道に差し掛かり(一本は、いままで来た道)、悩んだ末に、右、左、戻る、という選択をするのだが、その全ての選択が、話として記載されている。
ロールプレイングゲームっぽい構成だ。
結局、どの道を選んでも、結局、違う理由で死んでしまう(自殺、決闘、殺害)。
どう解釈するかであるが、そのまま読むと、「人の運命は決まっているから、あがいても無駄」という事だろうか。
ただ、記憶の中で(中学以降読み返した事がない)、人の運命は努力によって変わる。
努力しない人間は、何をやっても無駄だし、努力する人間は、どんな選択をしても成功する。
という意味だと思い込んでいた。
まあ、解釈が難しい話らしく、どちらが正解とも言えないのであろうが。
ただ、誰しも、過去の選択を振り返る事がある。
また、人生の岐路もある。
結局、その後、必死に努力すれば、どんな選択でも、「良かった」と思うし、しなければ、「違う道を選んでおけば良かった」と思うものだろう。
そんな訳で、後で振り返った時に、「この選択をして良かった」と思えるような人生にしたいものだ。
広州日帰り出張は天之河で食事をして終わり
この記事を書いてから、他の記事を先に載せたり、48時間くらいブログが不具合でアップができなかったりで、何やら時系列がぐちゃぐちゃになってしまうのですが・・・
一応、書いたので載せときます。
因みに、これは11日の出来事。
いま(14日)は上海にいます・・・
夜8時15分発の便で香港に。
広州で6時まで仕事をして、1時間ちょっと、中信広場の天之河で食事をする。
昨日のウォッカのダメージが若干残っているし、宴席の無い日は酒を飲まない事にしているので、今日は酒抜き。
野菜炒めを食べて、焼き餃子を食べて、豚骨スープ水餃子というのを食べて、メンチカツを食べる。
最後は、カレーライスを半分づつに分ける。
焼き餃子用のラー油を貰うと、たっぷりと出てくる。
市販の家庭用ひと瓶くらい入ってるのではあるまいか。
醤油をちょっとたらし、焼き餃子を付けて食べる。
結構辛い。
他の料理が極端に薄めだったので、帳尻があった感じ。
亀一は平然とした表情。
ブログの調子が悪かった
あと、写真が落ちていたりとか・・・そんなこんなで、更新できなかったのが、一応もとに戻ったようだ。
しかし、他の方は更新できているのに、なぜ僕だけだめだったのだろう。
僕のでテストしたのかな。
なんか、ブログの管理画面が変わった。
絵文字が入れられるようになったようだ。
とか
とか
とか。
まあ、携帯電話でも、絵文字は一度も使った事ないから、使わないだろうなぁ。
社会人に求められるスキルとは
銀行からであった。
先輩への電話であったが、いないと言うと、メッセージ宜しくと言われ、「書類にディスクレがありました。レファレンスをスペルアウト致しますと、フランス、アメリカ、ベトナム~」とか言われ、「ひやぁ、そんなに早くメモできないよぉ」と思って、必死で書き取った。
が、知ってみると何でもない、FAV~の事で、フランスF、アメリカAとか言えばいいものを、如何にも新入社員っぽい人間が電話に出たので、意地悪してこんな言い方したのであろう。
まあ、これは、積極的な意地悪であるが、他意はなくても、社会人になると、皆、ある意味不親切になる部分がある。
共通用語になっている様な言い方は、敢えて、誤解が生じる様な説明になる事も少なくない。
例えば、「外貨で買いたいんですが。人民元で買いたいんですが」という発言をよく聞く。
ただ、その真意は、「外貨で買いたい=手冊輸入したい=加工貿易形態で仕入たい」という場合が良くある。
外貨で買いたい、人民元だけ買いたい、というのを正直に受けて、「一般輸入でも外貨で決済できるからそれでいいんだ!」とか考えたりすると、趣旨を取り違えるし、「進料転進料の転廠だったら、人民元決済できるから、これでもいいんだ!」と考えたりすると、単に、内貨(非保税品)を買いたいと言う趣旨だったりする。
こんな感じで、社会では、かなり話(説明)をはしょられる事が多いので、この点、注意が必要だ。
よって、一つの事を聞いたら、そこから趣旨を類推し(場合によっては、数種類の可能性を推測し)、それを嫌味にならないような聞き方で、真意を探っていくという過程が必要になる。
この点、学生の頃はなかったが、社会人には欠かせないスキルであろう。
僕が29歳の時、インストラクターをしている新人に、したり気な顔で、「学生の頃は、与えられる情報は、全て正しくて、その中から答えを出せばいいけれど、社会人になったら違うんだ。正しいデータと間違っているデータが混在する中から、情報を選別して、解決を誘導していく必要があるんだよ」とか話した事がある。
その当時の僕に、それがどの程度出来ていたかはわからないが、言った事は正しい。
間違ったデータ、不完全な伝達、そんな要素が含まれた中で解決を導いていく作業は、探偵のそれと似通ってもいるが、ひとたび社会人になれば、避けて通れないスキルである。
それだから面白い、ともいえるのだけど・・・
マイナス20度でウォッカ!
(10日の出来事です)
ランカイフォンのバラライカ(ロシア料理&バー)に行った。
チムサッツイのバラライカには、2002年に行った事があるのだが、ここの売りは、マイナス20度の部屋が有って、ここでウォッカが飲める事だ。
昔(2002年)、コンシェルジュの企画で、丸紅香港の社長、副社長、谷垣君が、ここを紹介。
マイナス20度の部屋で、毛皮を着て酒を飲んでいる写真が紙面を飾った事がある。
寒いよ~ とか吹き出しが書きこまれているのが面白くて笑っていたが、楽しそうなので、早速行ってみた。
ただ、チムサッツイのバラライカは、(今は知らないが、少なくとも2002年に行った時は)ずっと音楽の生演奏をやっていて、うるさくて話ができなかった。
それが嫌だったので、その後、行かなかないままになっていた。
ただ、ランカイフォン店は雰囲気が良いと聞いたし、久しぶりに寒い中でのウォッカに惹かれるものがあったので、二次会に行ってみた。
場所を知らなかったが、これはあっさり見つかった。
ランカイフォンのバラライカは、本当に内装も綺麗で雰囲気がよい。
当時行ったチムサッツイのとは随分違う。
席に座ると、向こうにマイナス20度の部屋が見える。
実務研修時代に何度も仕事で入った、海産物の冷凍庫と同じ温度だ。
研修時代は、検品の立ち会い(通訳)で、何度も冷凍庫に入っては風邪をひいたものだ。
毛皮を貸してくれるので、これを着て中に入る。
最初は意外に余裕だったのが、長くいればいるほど寒くなってくる。
Tシャツで入っている人間も何人もいて、「よくやるなぁ」と驚く。
これだけの寒さだと、ウォッカがすいすい入る。
ビールは絶対飲めない。
客は、皆な遊び感覚で入っていて、写真を撮ったりして楽しんでいる。
こちらも写真を撮って、楽しく飲む。
床に誰かが酒をこぼした部分が氷になっている。
恐ろしい寒さだ。
3時間以上いたので、結構飲んだ。
寒さは酒を促進するな。
外に出たら、身が冷え切ってたので、暑さが心地よかった。
楽しく飲んで、幸せな気分になった一夜であった。