情報配信会社を運営すると

上海エクスプローラーとの合弁(当社51%)である、チャイスチャイナの創業から2年弱。
まずは、運営するサイトのコンテンツ充実を図っていたが、随分効果が出てきた感じがする。

中国の制度だけでなく、国際課税・会計(国際会計基準との調整、租税条約解釈、日本側の税務等)に関する記事、ベトナムの情報、不動産鑑定というビジネス制度解説もコンテンツに加わっている。
最近、「購読料の価値(約2千円/月)はあるな」と満足できる様になってきたし(ご覧になった事がない方は、一度、のぞいてみて下さい)、今後も引き続き内容の充実を図っていきたい。

また、
・Mizuno Consultancy Holdingsに続いて、チェイスのコンテンツも日経テレコン(日本経済新聞デジタル版)に納入が決定。
・今年の夏を目途に、オンライン講演会、講演会DVDの販売を開始予定。
・来年には、是非、念願の紙での情報提供(専門誌刊行)を実現したい。
と言う感じで、チェイスの展開に関しては、僕自身も引き続き、いろいろな手を打っていく予定。

チェイスチャイナを始めて感じるのは、この様な会社を運営すると、自分の意識も変わるという事だ。
執筆者・コンサルタントという立場だと、他の原稿を書く人に対するライバル心が先に立つが、情報配信会社を運営すると、(収入に繋げるために)人を売り込もうという気持ちが出てくる。
情報発信者の立場だと、ジェラシーを感じて、なかなかできない事だ。

最近、一回り下の方々から、「水野さんの第二世代として頑張ります」と言われる事が多くなってきた。
目標としてもらえて嬉しいと同時に、自分も歳をとったな、という気がする。
が、世代交代はまだまだしない。
バリバリの現役として、次世代の皆なと、ライバルとして張り合っていきたいと思う。

ただ、次世代(30代の人たち)の人材開拓、売り出しをする意味でも、チェイスというツールを作ったのは良かったという気がする。

<お知らせ>
執筆者は随時募集中です。
(中国、アジアだけでなく)、日本の法制度、ビジネス制度一般等、幅広く、募集しています。

Barと酒のみの感性

世の中、酒のみと酒のみでない人間では、発想や行動パターンが変わるものだ。
酒が好きな人間は、食事が終わっても1人で家に帰るのがさびしいので、Barに行って、数杯飲んで帰ったりする。

酒のみでない人間は、1人で酒を飲む、という事が理解できない様で、元同僚の谷垣君等は、Barで1人で飲んでる人を見ると、「何故1人で飲みに来るんでしょうねえ。友達がいないんですかねえ」とか不思議そうな顔をしていう。
まだお子様だ。

亀一も、1人で酒を飲むという事が理解できなかったようだが、最近、横浜赴任で1人暮らしを始めたので、はじめて1人の物悲しさを感じているようだ。
ただ、1人で焼き鳥やに行ったら、あまりの物悲しさに、すぐに出てしまったと言っていたが。

何れにしても、僕は1人でBarに行くのが好きだ。
物思いにふけったり、ボーッとしたり、人(周りの客)を観察して過ごすのは楽しい。
まあ、逆に観察されている事もある訳だが・・・

横浜みなとみらいで会議⇒中華街で会食

中華街

上海から羽田に移動。
横浜みなとみらいに直行して、社内打合せ。
会議参加は、4月7日から横浜に赴任している亀一、そして横幕さん。
更に、香港から出張した水嶋さんの4人だ。

打合せを終えると、横浜中華街で会食。
上海料理の状元楼と、四川料理の景徳鎮と、どっちが良いかと聞くと、「四川料理」と亀一が即答するのでそれに従う。

ここは、起業早々、「横浜ランドマークを見て誓いを立てよう企画」をした締め括りに会食をした場所だ。
本場の辛さの麻婆豆腐が名物だが、辛くない料理も全般的に美味しい。
メディアでもよく紹介されるが、よい店だ。
(前にも書いたが、四川料理なのに景徳鎮という名前と言う点だけがふに落ちないが)。

蟹卵ふかひれスープと蒜泥白肉

そんな感じで、蒜泥白肉、蟹卵ふかひれスープ。

八宝菜と本場の辛さの麻婆豆腐

八宝菜に本場の辛さの麻婆豆腐。
その他、炒飯、シュウマイ。
そして、麻婆豆腐と食べたご飯(一人一膳)。
「横浜赴任以来、一人飯ばかりでしたので、人と食事をするのは久しぶりで嬉しいです」、と言って、亀一はネギラーメンを1杯追加して食べて、デザートも食べていた。

久方ぶりに、僕よりよく食べよく飲んでいた亀一だ。

会食した、水嶋さん、横幕さん、杉山君。
僕は移動疲れでぼろぼろなので、写真には写らず。

事を起こすには大義が必要だ

事を起こすには大義が必要だ(と思う)。
例えば、独立・転職。
独立・転職すると、往々にして「前の組織を裏切ったのではないか」という目で見られがちなので、そうではない根拠、独立する必然性を、如何に世に伝えるかが必要になってくる。
転職の際の、円満退社というのも、大義を得るためのステップ。

前回の続きの様になってしまうけど、僕の場合は、僕が社長を務めていた丸紅の子会社が、突然清算される事になり、事業継続が不可能となったので、顧客の信頼・部下の雇用を維持する為に独立に踏み切った。
とは言え、当事者以外は、そんな事は分からない。
更に、僕が独立する事を決めたら、その活動を阻害する為に、潰す筈だったコンサルティング子会社を、(出資部門が)存続させてしまった。
こうなると、どちらに正義があるか、傍からはわからない。
事情を知らなければ、如何にも、部下と会社を棄てて、僕が独立した様に見えてしまう。
客観的にみると、ここまでは、先方の作戦はあたりだ(まあ、僕の邪魔をするという観点に立てば、だが)。

独立に際して僕が守ったのは、以下の事項。
① 部下が希望するのであれば、同一雇用条件で全員受け入れる事を約束した。
② クライアントだった方が、僕の新会社と契約を希望された場合、前の会社に払って頂
いた顧問料は、僕の会社に払って頂いたと見なす事とした(同期間分は、新たに請求しない事を約束した)。また、顧問料の値上げはしない事を約束した。

独立間が無く、自分の生活も保障されていない状況なので、金銭的には苦しい選択だったが、自分の部下・お客様な訳だから、迷惑をかけるべきではなく当然の事だ。
仮に、全員の部下が付いてきてくれて(そうはならなかったが)、その結果、共倒れになっても、そこまでやれば、部下もクライアント様も納得してくれるだろうと思った。

ただ、嬉しい誤算だったのは、関係が途切れると観念していた丸紅の大勢が、僕側に付いてくれ、前の会社との契約を解除して、僕の新会社に切り替えてくれた事だ。
これにより、部下、顧客、前職との関係が全て維持され、大義を得た形となった。

僕が辞表を出した時、出資部門の長は、「丸紅と喧嘩して勝てると思うなよ」と吐き捨てたくらいなので、社内の世論は自分に付くと思いこんでいた筈だ。
こんな結果になって、さぞかし唖然とした事だろう。
その後、前の会社、そして、そこに出資していた部は、僕の退職後9ヶ月で消滅した。その折、消滅した会社は、顧問関係が継続していたお客様に対して、事前説明なしに、営業停止のレターをファックスし(3月下旬)、数日後(4月1日)には、責任者(本社の部長クラス、消滅会社の社長等)が、軒並み人事異動で連絡が取れなくなった(関与しなくなった)。
顧客説明(お詫び)等の残務処理は、1名の(社長ではない)駐在員と、残留した現地社員だけが対応する事となった訳なので、これでは、幾ら綺麗言をいっても、正義とは認められまい。


何れにしても、大義を欠いた戦いは負ける。
前回書いた様に、前の会社で、出資部門の人間と感情面での軋轢が起こったのも、結果として僕が独立したのも、それなりの必然かもしれない。
それは、お互いに不幸な事だったのかもしれないが、結果として事を起こしたのであれば、それを落ちつける責任が(お互いに)あるし、それには時間と覚悟がいる。
その中で大義が問われる。
事を起こすのであれば、自分の行動に大義があるかを、常に問いかけるべきだろう。

ともあれ、僕も独立3年弱が経過して、もう思い出話になろうとしている。
その過程で、自分としてもそれなりの努力をしたのは確かであるが、支えてくれたお客様・提携先の方々の力がなければ、ここまで来れなかったのは確かな事だ。
僕自身の努力よりも、支えてくれた方の温かい気持の方が、よほど重要だ。
僕の努力は、気持を向けて頂くためのきっかけに過ぎない。

その恩義に応えるためにも、今後も、自分の行動を冷静に分析し、道を踏み外さない様に、自分を戒めながら(あの時の気持を忘れない様に)歩いていかねばならないと思う。

「ソフト技術者の反乱」を読む

書店で偶然、「ソフト技術者の反乱」という本を買った。
三井物産を退職して、日本ナレッジインダストリという会社を興した西尾出という人をモデルにした小説だ(買って初めて知ったのだが)。

商社の中で、ソフト開設(システム開発・コンサルティング)をビジネス化し、分社化。
外部からの業務受注を進めていったが、本社の一部幹部よりねたまれ、嫌がらせを受け、潰されかけた為、会社を辞めて、主要な部下と共に起業する、という経緯を書いた小説で、
「何か、自分の身に起こった事が、そのまま書かれているぞ」と、既視観を感じながら、一気に読んでしまった。

まあ、こういう小説は、主人公の目線で書かれるので、どの程度客観性があるか分からず、また、僕自身、西尾出という方に対する知識が全くないので、妥当性の判断はできない。
ただ、この小説を真実とすれば、会社でそれなりに権限を持った人間が、1人の人間を潰そうとする時は、参考書でもあるかの様に、同じ事をするものだな、と感心した。
・子会社の社長となっている人間が気に食わないと、会社を解体して、その人間を自分
の権限下に置こうとする。
・それができないと、社内で悪い噂を流す。
・悪意的な社内監査を入れて、潰そうとする。
・社内監査で不正が見つからないと、独立を妨げる(同一事業を行わない様、圧力をかけようとする)。
・相手が独立しようとすると、それまでは、潰そうとしていた会社を存続させ(競合相手
にしたて)、解雇しようとしていた部下に対して、慰留交渉をする。
という様な事だ。

こんな事態が生じた時に、今までの行動(生き方)が問われるのであろう。
身ぎれいにしていたか、人の立場に立って仕事をしていたか、嘘をつかなかったか、約束をきちんと守ったか、という点だ。
これによって、自分側に付いてくれる人がどれだけいるかが決まるし、どちらに大義があるかも決まる。
何事も、小さな事の積み重ねだ。

ただ、本の主人公は、就業時間外に社員が意見交換する為に、会社としてマンションを2部屋買っていたとか、本社の序列上位の人間が車を持っていないのに、専用車を持っていたとかいう記載があるので、こういう事をしていると、ねたまれても仕方がないかなという気はする。

僕の場合も、「他の社員が、嫌でも与えられた仕事をこなしている時に、自分だけ好きな仕事をしている(自由に行動しすぎ)」とか、「帰任時期が来たら、ごねて、自分の会社を作らせた」、とか、そういう目で見る人もいたのだろう。
本人は、責任とプレッシャーで押しつぶされそうになっていて、リンパが腫れたり、夜眠れなかったりして働いていたのだが、そんな姿を間近で見ていなければ、好き勝手な事をやっている様に思われる(おまけに、その頃は茶髪だ)。
まあ、ねたみを買う人間にも、それなりの理由があるという事だろうか。

ねたみの根源は、「会社のふんどしで相撲を取っている」という意識なのだろうから、それに対する回答を出そうとすれば、「自分でやって(自己責任でやって)」事を成し遂げるしかない。
そう考えれば、独立企業は、「あるべき状態になっただけ」という事だ。

「ソフト技術者の反乱」を読んで、何となく自分の姿を客観的に眺めた気がした。

デリバリーの海老粥

上海が急に暑くなり、食欲が出ないので、CI5で食事をする事にした。
食事の主流はパスタだが、さすがにこれは重い。

ざるそばでは物足りない。
暑いさなかに、きつねうどんを食べるのは辛い。

という事を、う~んとうなって考えていると、隣のお粥を取ってくれた。
海老粥だ。

隣の粥は美味しいと、前から聞いていたのでよい機会だ。
一人だと分量が多いが、具がたっぷり入った魅力的な粥だ。

これはなかなかお勧め。
次もこれで行こうかと思う。

ネコがいる(その2)

いつものCI5に行くと、隣家に子猫がいた。
しばらくかまっていると、偶然居合わせた隣家の人に、「いらないから、気に入ったんならあげるよ」と言われる。
とはいっても、上海に常駐している訳でもないし・・・

大変残念だ。
たいそう可愛かった。
誰かよい引き取り手はいないだろうか。
我こそはと思う方は、CI5に(厳密にはCI5の隣だが、聞けば分かる筈です)。

ネコがいる

前も書いたのだが、上海のオフィスの窓から見える建物に、数匹ネコがいる。
仕事をしていると、ネコの鳴き声が聞こえてくるが、そうすると居ても立ってもいられない。
ついつい窓際にいき、見入ってしまう。

学生の頃はネコは好きではなかったが(犬派だった)、最近は犬も猫も好きだ。
そんな訳で、しばしネコを見ていると、なんとなくなごむ・・・

髭とか、髪を茶色に染めるとか

髪を茶色くしたり、髭を生やしたりするのは、会社員としては適切でないというのが常識的な意見だろう。
そんな中、僕は以前、結構はっきりした色に髪を染めていた。
今から思うと、「なんで染めてたんだろう」と不思議に思う。

昔、同期入社の人間(ひげを生やしている)が、「ひげを生やすと自由になれるんだよ」と、酒を飲んで後輩に語っていたが、まあ、そんな感覚(=軽い反抗心)なのだろう。
いま振り返ると、随分子供じみていたなと思う。
会社の束縛の中(非常にまじめな会社員生活を長く送っていた)、ちょっと崩してみたいという願望が、こんな形で現れたのだろうから、そういう束縛が全くなくなった今は、髪を染めたいという気持ちが無くなったのは、自然な流れであろう。

当時、「髪は染めているが、やる事(仕事)はやっているし、実績も上がっている」と胸を張っていた。
また、仕事柄、ある程度目立つ事が役に立つ事があるので、その意味では、特徴をはっきりさせた事で、得をした部分もあるだろう。
とは言え、人と違う事をやると、眉をひそめる人がいるのは当然の事で、それが故に取れなかった商売もある筈だ。
その意味では、髪を染めていた事に対して、反省の気持ちもある。

何れにしても、一般論で言えば、実績が上がっていれば(自力で商売の開拓ができていれば)、相手に不快感を与えない事を前提に、外見をちょっと崩してもよいと思う。
ただ、人と向き合う仕事であれば、自分の商品価値が打ち出せていない段階で外見を崩せば、ネガティブな要素が先に立つ。
面談すらも叶わない場合もあるかもしれない。
これはやめておいた方がよい。

そんな事を考えるにつけ思うのは、僕がまだ、社外に対するコンサルティング業務を開始したばかりの10年前、髪を染めていても、信頼して頂いた、たくさんのお客様には、お礼の言葉もないほどだ。
改めて感謝の気持ちでいっぱいの今日この頃である。

工員さんの移り変わり

先日、銀行の方と会食している折に、「先日、工場の方と話した時に、最近の女工さんは、髪を茶色くしたり、ネイルをしたりで昔とは随分変わってきた。嘆かわしいと言っていました」という話を聞いた。

まあ、この事象を、嘆かわしいと捉えるか、喜ばしいと捉えるか、どうでもいいと捉えるかは、個人の嗜好と立ち位置によって変わってくるであろう。
髪を染めようがどうしようが、仕事をしっかりすればよかろう、というのが僕の考え方だが(外部企業との接触がある場合は別として)、外見に気を使った結果、仕事がおろそかになるのは当然問題だ。

ただ、この10年間を見ても、外地の労働者の意識、生活様式が随分変化してきているのは確かだと思う。
10年前は、広東省で2~3年歯を食いしばって働いて、故郷で家を建てる、若しくは、店を持つ、というのが、出稼ぎの若者のイメージであった。
それが徐々に、出稼ぎ先の生活を楽しむ、というタイプが増えている。
それが、外見に表れるのであろう。

これをどう捉えるかはさておいて、中国の内陸部が徐々に豊かになった結果であろうし、これは、日本も過去に経験してきた移り変わりである。
ハングリー精神の欠如と言えばそれまでだが、良きにつけ悪きにつけ、時代の流れであり、それを前提とした企業運営を考えねばならない。