来料独資転換

来年、2月・3月は、講演を引き受けないと先日のブログにも書いたのであるが、一昨日、日本政策金融公庫の方に来社頂き、3月中旬、深圳での講演会依頼を受けたので、引き受ける事にした。
「来料独資転換の最後の波が押し寄せるので、判断に困っている方に解説をして下さい」と言われると、さすがに立場上断るに断れなかったので・・・

来料独資転換は2008年から開始した動きであるが、財関税[2009]48号で、2011年6月末までの優遇措置が認めれていた。
これが期限超過した事で、時間的指針(いつまでに転換するかと言う目安)が立たなくなり、企業としての方針決定目途が立てられない状況が続いていた。
今年8月に出された、「珠江デルタ地域に全国加工貿易レベルアップのモデル地区を建設する事に関する指導意見(商産発[2011]269号)」では、来料独資転換に関しては、期限なく設備転廠(保税・免税状態での設備移管)を認めると読み取れる記載があるので、指導意見の目標期限である2014年頃までに対応すればよいと思っていたところに財関税[2011]66号が出された。

ここでは、2012年12月末までに、優遇期限を区切っている。
やはり、広東省の政府文書にも書かれた「2012年末までの省内加工廠の法人転換」という目標は死守するつもりであろうか。
2012年末までの現物出資という事を考えると、今年全般の作業開始が必要となる。
つまり、春には企業としての方針決定が必要という事だ。
そんな訳で、3月の来料独資転換セミナーを引き受ける事にした次第。
詳細は追って。

三井さんと会食(水野海峰さんを呼び出す)

NNAの三井さんと酒を飲んだ。
2人で飲むのは久しぶりだ。

飲んでいる内に、連載10周年企画をやろうという事になり、「それなら弟ともいえる(単に苗字が同じというだけだが)水野海峰弁護士(曽我瓜生糸賀法律事務所)と共同で、久々の花園飯店のメインボールルームでやったらどうだろう。同じ水野だし」という話をする。

興が乗ってきた三井さんが、「では海峰さんを呼びましょう」といって電話をかけようとするも、お互い携帯電話番号が分からずすったもんだした。
結果、連絡できたのが夜9時。

「海峰さんは、愛妻家(&恐妻家)だから絶対来ないですって」と言ったのであるが、予想を裏切って奥さんを説得してわざわざ(浦東から)浦西に来てくれた。
取りあえず、共同講演会をやる方針は決定。
詳細は、追って話し合う事に。

そんな訳で、和やかに酒を飲んでいる三井さんと水野海峰さんの写真。

NNA連載も10周年

昨夜は1時間弱で、NNAの原稿を書き上げた。
第469回だ。
NNAの連載開始が2002年1月7日だったので、もう少しで10周年。
ちょっと感慨深い。

僕の執筆活動は、2001年7月の上海エクスプローラーから。
同年9月に香港ポスト、秋にみずほ香港の会報、NNAはそれに続く連載。
ただ、ビジネス情報専門誌に初めて連載が決まったので、うれしかった記憶がある(他のも嬉しかったが)。
その後、2002年3月に最初の講演会をやり、4月に最初の本が出て、11月に最初のTV(NHK)。そこから先は長いので省略して、現在に至るという訳だ。

10年という期間は、あっという間の様で長く、思い出が詰まっている。
僕も30代後半から40代後半になったし、当時、一緒に仕事をしていた仲間達の状況も随分変わった。
そして、歳を取った!
当時の自分の若い写真を見ると、一抹の寂しさは禁じ得ないが、まあ、歳をとるのは避けられないので、(経験と知識が蓄積されたと)前向きに考えよう。

ともあれ10年。
曽我弁護士の法律講座の方が長いので、まだ威張れないのであるが、10年間、毎週、一回も落とさずに書いた訳だから、ちょっと自慢してもよいだろう。
10周年記念イベントはないけれど、その日は一人で乾杯でもしようか。

そして、コンシェルジュは9年、時事通信は5年。
連載が長く続けられるというのは、書き手にとって誇りであり、新聞・雑誌社の方に対する感謝と愛着も感じる。

さて、あとどれくらい続けられるか。
全部、最低あと10年は続けたいものだ。

目が覚めると

目が覚めたら昼だった。
「まずい、日中投促のレジュメと三井住友銀行月報の督促が入っているのではないか!」、とうろたえて、でも「疲れて起き上がれない」と寝床で「うーうー」うなりながら枕元のブラックベリーを見たら、E-mailがほとんど入っていない。
「おかしいぞ」、としばし考え、頭が覚醒してきたところで今日は土曜日で休日だと思いだした。

日本、中国本土、香港と行き来していると、休日がすべて違っているので、自分でもいつが休みかわからなくなってくる。
取りあえず安心して、(昨夜仕上げてあった)日中投促主催セミナーのレジュメの最終確認と、三井住友銀行会報の原稿執筆を終わらせる。

夕方になったので、12.5Km歩いて帰宅。
最近、ウオーキングが趣味になってきた。
簡単に食事をすませ、これからNNAの連載原稿。
来料独資転換の設備移管の新しい通知(財関税[2011]66号)が出たので、この解説を書く予定。
テーマが決まっているので、それ程時間がかからないであろう。
0時には寝たいものだ。

Twitterとブログ

昨夜は、コンシェルジュの大西社長と会食であった。
同氏とは2002年に知り合ったが、年齢が同じ(生まれた月も同じ)で話しやすいので、一時期は良く会食もしていたが、実に、3年半ぶりの面会だ。
年齢が上がってくると、会社の中の役割分担も変わってくるし、仕事で面談する人、行く場所も多くなる。
自由になる時間も少なくなり、同じ人と会う回数が減ってくる事を実感。

会食の席で、TwitterとFacebookを進められる。
実は、今年の初めにTwitterはアカウントを開いたのだが、(字数制限がありすぎて)言いたいことが言えないフラストレーションとつまらなさがあり、すぐに更新を放棄していた。

ただ、「ブログは読む方もある意味重いので、宣伝だと割り切ってTwitterを続けてみるのもいいですよ」と言われ、そんなもんかと、ある意味納得する。

自分が人のブログを読む時を考えると、更新していないとイライラするが、文章が長いと途中で読むのをやめたりする。
僕のブログも文章がそれなりに長いので、読み手にとっては重いのかな、とも考える。
その意味では、僕のブログも分量を半分以下にして、頻度を上げた方が、読み手の為なのかもしれない。
僕がブログを始めたのは2004年で、まだ普及直前だったので、僕の意識は「日記=1日に一回書くもの」というものであった。
その後、芸能人などが、1日4~5回更新していたり、写真とワンコメントだけでアップしているのを見て、「こんなことをしてもいいんだ!」と驚いた。
まあ、別に決まりがある訳ではないので、自分で思い込んでいた、というだけの話だが。

そんな感じで、Twitterを始めるかどうかは、あと少し考えよう。
Facebookは前から興味があり、解説書を買ったまま読めずにいる。
これを読んで、仕様が分かったら、使い方を決めてはじめようか。

ウォーキングを楽しむ

講演会が終わりほっと一息。
つかの間のんびりムードで仕事。

夜の会食は7時半から新橋(銀座8丁目)だったので、最近の運動不足を考え、九段下から歩いていく。
時間にして50分程度。
皇居の周りのランナーが多い。
これほど多いとは思わなかった。
健康ブームだ。

東京駅の前のイルミネーションがきれいだ。
10時半に会食が終わったので、また竹橋まで歩く。
ちょうどよい寒さで、歩くのが苦痛にならない夜だった。
それ以外に歩いた距離と合わせて9Km
気分がよい。

今年の講演会は終了

12月19日の講演会(鈴木康伸会計士との共同講演)無事終了。
これで年内の講演会はすべて終了しました。
ありがとうございました。

前にも書いたけれど、11・12月に都内で有料講演会を5回。
一時期は講演を引き受けすぎた!と真剣に反省し、集客を心配したけれど、結果からするとやってよかった。
・日経新聞主催とみずほ総研主催の高額セミナー(3万円以上の聴講費)は合計で150人の
申し込みを頂き、キャンセル待ちの方が出る状況。
・チェイス主催の講演会2回(聴講費8千円)は、会場が約50人と小さかったが両方満員。
・出だしのフジサンケイビジネスアイセミナー(聴講費1万円)は、告知開始が遅れたた
め、70人と満員にはならなかったが、集客方法を見直す良いきっかけになった。

講演会準備、集客のストレスで、誇張ではなく心臓が痛む状況が続いていたが、11月9日から12月19日までの40日間で、これだけできたというのは自信になったし、助けて頂いた提携先の方との結びつきも改めて強くなった(ありがとうございます)。
そして、聴講頂いた皆様方には、心より感謝致します。

1月に公開・非公開を含めて講演会が5件、2月は1件決まっているけれど、これ以外の講演会は、3月末までは辞退させて頂き(来年2月・3月の講演活動は原則休止し)、来年4月からまた講演活動を再開する予定。
ちょっとした充電期間という事で。
来年4月以降の講演会のご相談はお受けします。

父親のスナフキン

昨日は初めての高校の同窓会があったようだ。
1日移動日程がずれていれば参加できたのだが、知ったときは時すでに遅く、面談予定が動かせない状況であった。
大変残念。
ただ、ブログを読んで連絡してくれた今仁君ありがとう。
おかげでコミュニティ登録でき、写真は見る事ができた。

今回は実家に宿泊。
実家に到着したのは夜の11時過ぎだったけれど、両親が起きていてくれて、深夜の湯豆腐&日本酒(〆張鶴)と相成った。
寒い冬に、湯豆腐と日本酒は堪えられない。

因みに、父親は陶芸が趣味(というか、趣味が多いので、陶芸も趣味の一つと言った方が正しい)なのだが、遊び心でスナフキンを焼いてみたようだ。

家も陶芸で作ったようで、中に電球を入れて食卓のわきに飾ってあった。
「なかなか上手いじゃない」というと、「サンタ帽子作ってかぶせたのと綿を置いたのは私だ。設計の勝利だね。ほっほっほ」と母親が自慢していた。

これが昼に撮った父親の、遊び心で作った作品。
サンタ帽子が可愛い。

ほぼ完治・日本到着

夜8時半に成田到着。
飛行機は満席だった。
前の座席の男性がかなりの巨漢で、半そでシャツに半ズボン(というか、膝まで丈の運動着)。
「いくら脂肪がついているからと言って、それじゃあ寒いだろう」と興味深く見ていたが、外に出ても寒いそぶりも見せず、手に持っていたジャンパーを着ようともしない。
いろいろな感性を持った人間がいるものだ。

3日間、毎日10時間以上寝ていたおかげで風邪もほぼ完治。
風邪だったせいで、ベッドに入るとすぐに寝れたし、ゆっくり休養を取ったおかげでストレスも抜けた。
何が幸いになるかわからない。
こういう状態にでもならないと休まないわけだから、天の配慮と考えておこう。
明日は講演会だ。

引き続き風邪

上海到着。
またもや東方航空格安チケットでの移動であったが、昨日はガラガラで大変快適。
これで4回乗って3.5万円(予約する時期が遅くなったので、いつもより値段が高くなった)は悪いなあ、と思いながら、機内食と食後に配られたハーゲンダッツを堪能。
あとは、寝ながら上海到着。

昨日書いた通り風邪で、上海ではぐったり。
ベッドの上で仕事。

今日も引き続き、氷嚢を頭の上に乗せて、ベッドの上で仕事。
こう書くと、悲壮感が漂っている感じがするが、本人としてはそれほどでもない。
ただ、無理がたたったのは確かだ。

こんな状況で、ブログのネタがないので、うさ丸を飼って頂いてる人から送られてきた、家の中での写真をアップ。