中国・アジアビジネス環境の今後

久々にボクシングのトレーニングをしてフラフラだ。
昨年の春くらいまでは、週5回程度、6~8Km走っていたが、夏に軽い手術をした事や、その後、講演会続きのハードスケジュールだったため、なかなか運動できなくなり、体重も増えてしまった。
昨年末から運動を再開したが、5Km走るのに骨が折れる状況だ。
何事も継続が必要だと身に染みた。

話変わって、前回、2007年にベトナムでのコンサルティングを計画して、一旦サスペンドした話を書いたが、その時の状況をもう少し詳しく書いてみる。
まず、何故、ベトナムかという点であるが、香港から飛行機で50分程度(ハノイの場合)と地理的に近いのと、優遇税制や通関管理制度が、中国を参考にしている面が多々あり、中国でのコンサルティング経験が参考にできると考えたためだ。
では、何故サスペンドしたかというと、確かに、前回書いた、ベトナム語が読めず、法律の英訳もオンタイムに出ない状況下、法律体系の把握に困難を感じたのが理由の一つ(提携するにしても、こちらの知識がない状況では、抑えが利かない)。
それ以外にも、以下の理由で、ベトナムの投資環境に、僕個人としては魅力を感じなかったためである(以下は、2007年当時の状況)。
① インフラが中国と比較して悪い。
現地資本の工業団地の整備状況が悪く、外資が運営している工業団地でないと、選択肢になりにくいが、外資工業団地は限られており、地価も中国より高い。
道路、港湾のインフラ未整備によりスムーズな物流が困難。
② コストがさほど安くない。
当時の状況で、人件費が中国沿海部の7割程度。
インフラ状況を勘案すれば、コストが半分以下であれば魅力が出てくるが、7割程度というのは、割高感を感じた。
その他、市場が無い(中国と違い販売市場・調達市場が無い)、企業所得税の優遇は豊富だが、個人所得税が高い(これは中国も同様であった)等の理由。

その際は、中国の反日リスク等の問題は念頭になかったので、コスト面が要因になるのであれば、(ベトナムを通り越して)カンボジアあたりに移った方が良いかもしれないし、さもなくば、中国で製造する事で、調達・販売市場を有効活用した方が、却って企業利益につながるのではないかと思った次第。

その後の5年間で、中国・ASEANのFTA発効、中国における来料加工廠形式の規制、中国の企業所得税法の改定、その他多くの環境変化があった。
特に、中国の沿海部が、世界の「工場」と言うよりは、「市場」としての位置付けを強めてきた事や、ASEANとのFTAの発効は重要な変化で、場合によっては、中国市場を狙うにしても、敢えてASEAN等で生産し、FTAのゼロ関税を利用して中国に販売した方が、競争力が出る場合も想定される(この場合は、ASEANに工場を作る、若しくは、委託加工を行い、中国に販売会社を作るというオペレーションになる)。
この様に、中国の購買力の変化、各国物価のバランスの変化等により、販売・製造のチェーンが、中国・ASEANでより広域化すると思われる。
日本、韓国もFTA戦略を推進しているが、韓国がより積極的な展開をしている感がある。
FTAは、業界毎の利害関係も絡むし、日本が結ばなくても、海外現地法人がこれを活用すればよい、という議論もあろうが、少なくとも、販売・製造のチェーンから外れる事により、日本における雇用の喪失と、それによる経済面でのネガティブな影響が生じ得るのは確かだ。
日本は世界の中にある(メンバーの一員)、という事実を踏まえ、世界経済の流れに乗り遅れ、存在感を低下させる事は無いようにしたい。

今週はシンガポール出張

昨日はジャスコで買った材料で鍋を作る。
野菜を大量に買った経験がないので、適量が分からずどうやら買い過ぎた。
3日連続自宅で鍋という気がする。
飽きないか若干心配。

話変わって、今週は、今週はシンガポール出張。
シンガポールは、2002年に講演会出張をして以来なので、10年ぶり2回目。
前回はホテルに缶詰めに近い状態だったので、街中をまったく見ていない。
今回は、街の雰囲気を含めて見てこようと思っており、ちょっと楽しみだ。
2005年頃から、コンサルティングのフィールドは、将来的に中国だけではなくアジアに拡大すると言っていた。今回は、その流れの出張だが、新規分野の対応はなかなか難しい。
コンサルティングという仕事は、クライアント様より、よく知っていて(法律、実務経験等)、初めてできる仕事。
2007年にベトナム出張に行った時、法律が自分の目で読めない状況下、如何にコンサルティングをするのかと悩み、結局は実行をサスペンドした。
普通に考えれば業務提携しかないのだが、僕の性格からして、自分で管理・判断ができない状況(品質管理がしにくい状況)で仕事をする事に抵抗があり、二律背反が生じている。
ただ、ちょっとしたアイデアがあり、これを3~5年スパンで実行したいと考えており、そのキックオフという意味合いで、出張する事にした次第。
新規分野だけに、3年後の実現でも、今年からしっかりと仕組みづくりをしていかなければならない。
とは言え、今後も中国をコア業務にする事には変わらない。
製造・販売の広域化(中国とアジアの一体化)が進むであろうと考え、その対応を立てるのが、広域化の目的。

香港到着ジャスコで買い出し

昨夜香港到着。
正月3日間完全休息したのは、思えば、ここ10年で初めてかもしれない。
おかげで完全復活。
また全力で働ける。
最近、日本、香港、上海のどこに着いても、「戻ってきた」という気がする。
僕の生活は、1か月の内、一週間が日本。残りの三週間を、香港と上海で分ける生活なので、どこでもそれなりの生活基盤があるからだろう。
ただ、今の時期は温度差が激しいので移動が辛い。
香港と日本・上海では、約10度の差がある。
移動が続くと体調を崩したり、コートをなくしたりしがちだ(この5年で上着を3着なくした)。
この季節、温かい香港は過ごしやすいのだが、多くの住居にはヒーターがないので、夜寝る時は結構寒い(厚着を着て寝る必要がある)。
家の中では、南方は寒く、北方は温かいこの季節。

今日は、E-mailで仕事をこなす傍ら、ジャスコに生活用品を買い出しに。
ホンハムに引っ越して3年弱。
ジャスコがない生活が考えられなくなってきた。
自分で自炊をするようになってみると、さして住みやすいとは思えない太古城(アピタがある)に、あれだけたくさんの日本人・韓国人が住んでいる理由が分かる気がする。
大型スーパーが、居住環境に大きな影響を与えるのを、身を持って感じる今日この頃。
以前は、自炊とはいっても、ご飯を炊いて肉を焼いて(冷凍食品を温めて)という程度だったが、ホットプレート購入をきっかけに、色々試してみたくなってきた。
今までじっくり見たことがなかった野菜コーナーに、日本の野菜がかなりあるのに感激。
春菊、ほうれん草、舞茸、シメジ、エノキ、白菜、キャベツ等、大量買いする。
その他、九州産の豚肉、タスマニア産の牛肉等を買い、HK$700消費。
4~5日はこれで楽しめそうだ。
因みに、ジャスコのスーパーの店員さんは、年配で一見強面の女性が多いのだが、話しかけてみると、総じて丁寧で親切だ。
こんな感じでモラルが守られているというのは、企業管理がうまくいっているんだろうな、等と、買い物をしながら考える。

新年だ

(1日経過したが)新年だ。
実は、ここ10年程、元旦が憂鬱であった。
何故かと言えば、1年間必死に頑張り年間目標を達成し、ほっとした気分で大みそかを迎えても、一夜明ければ新しい年で、現実に引き戻されるからだ。
前日までの平和な達成感は、元旦になると吹き飛び、強烈な不安とプレッシャーに襲われる。
昔は違った。
誰からも期待されていなかった2000~2002年は、のんびり正月を送っていた。
一応、2002年の正月は、休みも取らずに初めての本を書いていたが、義務付けられたものではなく、自分の希望で書いただけなので、気楽と言えば気楽であった。
2002年は、ある意味転機となった1年で、2冊続けて本が出て、幾つかの雑誌の連載、TVの連続出演(NHK経済最前線)が叶ったが、この年末までは、よく頑張ったものだと満悦し、平和に年を越した。
苦しくなってきたのはそれからで、コンサルティング業務が軌道に乗ってきた2004年頃から、逆に不安が大きくなり、大みそかの夜は眠れなくなった。
電気を消して眠れなくなったのもこの頃で(今は大丈夫)、プレッシャーの中、悶々と一夜を過ごし、夜が明けると同時に、新年の業務計画を、同僚や部下にE-mailして発破をかけていた。

ただ、年齢のためか、経営のプレッシャーに慣れたのか、今年は、大晦日も平和に熟睡し、清々しい気分で元旦を迎えた
久しぶりだ。

ともあれ、コンサルティングを始めて12年が経過した。
振り返ると、12年間連続して、立てた年間目標をクリアして今年に到っている。
企業・仕事は、伸ばすつもりで頑張って、やっと現状維持。
苦しくなるくらいに努力して、やっと健全な成長。
楽して儲けようとしたり、方向性を間違った拡大をしたりすると、ダメージを負う。
だから、今年も、実直に頑張っていく。
今年は何をやろうか。
そんな事を、考える正月である。