学生さんと話して

昨日は、日本、中国本土が休みのため、リラックスムードの一日であった。
午後に、香港に留学している学生さんと面談。
最近、知人を通して、若しくは、ブログから直接、大学生の方からの面談依頼をよくいただく。
人生の後輩に自分の経験を話す事は、先輩の役割だと思っているので、なるべく時間を取って話すようにしている。
特に、見知らぬ人に直接面談依頼をするというのは、僕が学生だった頃は、やろうとも思わなかった(思いついてもヘジテイトしてできなかった)だろうから、その様な連絡をもらうと、たくましいな、と感心する。
社会に出ると、この様なたくましさは絶対に必要だ。

昨日話したのは、自分の半生(なぜ商社に入り、中国を希望し、コンサルティングを始めたか)。
商社の機能。
大企業に就職する事と、ベンチャー企業に就職する事の違い。
という点。

自分の人生は、自分に選択する権利がある訳なので、会社の選択なども、正解は人によって違うのだろう。
ただ、僕自身は、商社を希望したことも、丸紅に入社した事も正解だった(幸運だった)と思っているし、コンサルティングを始めて、起業した事も、必然だったと思っている。
とは言え、まだ人生の半ばで、これからまだ20年は働き続けなくてはいけない訳だから、引き続き悩みも喜びもあるのだろう。
その意味では、ちょっと早く社会に出たとはいえ、社会・人生と戦い続けているという意味では同じ。
僕自身、この先に振り返った時、良い人生だと言えるように頑張るし、後輩の皆なもそうあってほしいな、と思う。

PCの思い出

思い出話だが、僕が新入社員だったとき(1987年)は、課にデスクトップのPC1台しかなかった。
課とは言っても、課員が40人くらいの大きな課だったので、1台というのは今から思うと想像できない少なさだが、当時はPCを使用する人間はほとんどおらず、いつも空いていた。
1990年に海外研修から経理に戻った時、まずは、PCのデータインプット担当になったが、当時使用していた国産PCは、計算機能が非常に悪くたいした表計算ではなくても(400×10程度の行列計算)、30分くらい固まってしまった。
そのため、計算機能がY、Nという指定ができて、まず計算機能をNにしてインプットを完了させてから計算を実行する(30分以上動かないので、その間ほかの仕事をやる)という面倒さ。
1994~95年に、IBMのPCに切り替わった時、一瞬で計算が完了するので驚いたものである。
同時に、社内ランやE-Mailの使用が開始され(最初は、電子メールとか呼んでいた)、ラップトップのPCが2人に1台支給された。
随分便利になったと喜んだが、仲の悪い人間でPCをシェアすると大変だ。
(経理部だけに)負債という単語を打とうとすると、シェアしている人間が良く使うのか、夫妻と変換され、「あいつは仕事してるのか!」と怒っている人間がいたりした。
思い出深いのは、1996年に経理部の泊まり込み研修が有った時、PCの有効利用という様なテーマを任された班の発表者が、「PCが増えてきたのはありがたいですが、目標は一人一台です」と発言し、部長が、「分かった」と回答したので、みんな喜んでいたら、その後1~2年で大幅な人員削減が有って、部員が半分近くに減ってしまい、ちょうど(PCを増やさなくても)一人一台になった。
僕の所属していた海外経理課というのは、20人くらいいた大きな課だったが、僕が海外赴任した後に、課がなくなった。
後から思えば、そういう事だったのか!と、してやられた感じであった。

僕は字が下手なので(更に書くのが遅い)、人があまり使わない頃から、ワープロ代わりにPCを使用していたが、20代の頃は、使用する人間は少数派だった。
それが、僕が社会人になってから25年ちょっとで、PCが無い生活は考えられなくなった。
そう思うと感慨深いものがある。

移動前に明日葉でランチ会議

昨日、上海から香港に移動。
本日(土曜日)は中国本土が業務日なので仕事中。
明日は日帰り深圳。
日本、中国本土、香港のどこかが業務日だと、仕事をしなくてはいけないのが辛い所であるが、忙しいのは良い事だと思おう。

そんな関係で(昨日言われた様に)、今日は、元気ですという事を報告するだけの更新。
昨日は、上海で朝10~11時に面談。
その後、空港移動前に、当社松本顧問と昼食を取りながら打ち合わせ。
11時半~12時15分という短い時間しかなかったので、オフィスの近くにある明日葉。
僕はラーメン定食(これに餃子2個が付く)。
松本顧問はトンカツとカニクリームコロッケ定食。
大変おいしい。

餃子を食べるためのラー油が無かったのが残念だったが、ラーメンはあっさりして僕好み。
次回は、カツカレーを試してみよう。

常州訪問

仕事が非常に忙しく、ブログがまた一週間止まってしまったら、とある方より「急に1週間も止まると、何か問題があったかと心配するので、生きてますとか、忙しいですとか、一行でもよいので更新してください」と言われる。
以前も、読者の方に、同じ事を言われた事があり、もう少し小まめに更新せねば、と改めて思う。

昨日は、進出を手伝ったクライアント企業様の開業記念式典に招かれ、常州市に行く。
和階号で上海より50分(帰りは途中駅で停まらなかったので30分ちょっと)。
非常に近い。
時間が短く、限られた場所しか見ていないのだが、新しい街であり、清潔で落ち着いている。
そして平和そうな雰囲気。
これほど良い場所だとは思わなかった。
感じとしては、15年ほど前の蘇州という感じで、今後伸びるだろうな、と思わせる場所。
国家級高新開発区の誘致部の方々も、僕の本を読んでいる、という事で挨拶をしてくれる。
シャングリラホテルの食事に満足して、夜8時半の便で上海に。

前海湾訪問

日帰り深圳出張で、深圳前海湾保税港区に。
管理委員会と面談。
具体的な案件が有る訳ではないけれど、5月22日のセミナーの前に、ここの状況を最終確認したかったもの。

さて、年初より全力疾走を続けてきて、ふと思えば、あと4ヶ月ちょっとで起業5周年(6年目)だ。
コンサルティングを始めて12周年。
必死で走ってきたので、あっという間という気もするが、本当にたくさんの事があった。
日本にも、中国にも、僕自身にも。
思い出をたどると、時間の長さを感じる。

起業初年度から、利益は計上し続けているので、最近、色々な方から「安泰でしょう」と言われる。
ただ、20年後、30年後に、会社がしっかりと存続しており、更に、今より大きくなっているのが必須と考えているので、その意味では、まだ危機感を持って経営しているし、日々が戦いだ。
僕は、性格的には明るい方だと思うのだが、楽天的か悲観的かと言えば、悲観的だ。
そんな訳で、気苦労は絶えないが、必死さ・危機感というのは、楽天家は実感しにくいので、その意味では経営者は悲観的なくらいがよいだろう。

ともあれ、5周年というのは、起業時に意識した節目なので、その意味では感慨深い。
今年の9月1日は、何らかの形でお祝いしよう。
そして、今の自分と会社があるのは、確実に皆様の支援のおかげなので、改めて感謝の気持ちを持たせて頂こう。

バーで生活にアクセントを

ブルーベリーのカクテルは、3口飲んでから撮影(出てきたときはもっと美しかった)。

昨日は、香港のオフィスで、クライアント企業様限定の無料講習会(第2回)を開催する。
1.5時間 x 2コマで、終わったのは17時半。
それから、クライアント企業の方と面談し、業務を整理すると19時。
このまま家に帰って自炊しようかと思ったが、2日連続で自炊していたので、気分を変えてみたくなった。
当社(香港オフィス)の近くに、バトラー(Bar)があるので、オフィスを出ると直行。
早かったので、客は僕一人だけ。
時間を間違えると、座席が無い店なので、早めの入店がポイントだ。

ビール、ワイン、パスタを食べて、周りを見回すと、他の客(途中から入ってきた2人連れ)が飲んでいる紫のカクテルが目に留まる。
早速僕もお願いする。
ブルーベリー○○マティーニ(○○の部分は忘れてしまった)との事だが、素晴らしく美味しい。
9時前に店を出て、0時前には就寝。
自炊すると、なんだかんだで、だらだら飲み続けてしまうので、たまにこんなアクセントをつけるのは良い事だ。
精神的にも肉体的にも(昨日は疲労困憊だったのが、今日は見違えるように体調が良い)。

一週間ぶり(上海の状況)

一週間近くブログが止まってしまっていた。
先週火曜日に広州で市政府の会議に出席し、その後、香港経由上海に移動。
日曜日に香港に移動。
というスケジュールであった。

上海では、連日宴席という状況。
うどんすき(田家)、ラーメン(たいしょうけん)をはじめ、いろいろな店に行く。
たいしょうけんは、どこかのフリーペーパーに、日本の大勝軒で修行をした中国人の方が開いた、という様な紹介があった気がするが、記憶があいまい。
ただ、人と話をしている折に、たいしょうけんに行ったという話を2人から連続して聞いたので、注目の店に違いないと思い、宴会で使用した(招待いただいた方にお願いして、そこにしてもらった)。
メニュー数が多いので、ラーメンもある居酒屋という感じ。
つけ麺を〆に頼み、これはおいしかったのだが、既にお腹がかなり膨れていたので、5人の参加者のところ2杯頼んで分けたのに、半分も食べられなかったのが残念だ。
ボリュームがかなりすごい。

鳥インフルは話題にはなっているが、2003年のSARSの恐怖と比べれば、現段階の規模では、あまり気にはならなかった(気にした方がよいのだが)。
僕自身の経験で言えば、17年間の中国滞在で一番怖かったのはSARSで、あの漠然とした恐怖と街中の異様な雰囲気は、今でも記憶に残っている。
ともあれ、SARS時に身に着けた習慣に基づき、手洗いとうがいを励行する。
そんな感じで、今回も、たくさんの方と会い、食べ、飲み、笑った上海滞在であった。

広州市政府の会議に招かれる

会議室と任命書

今日は朝9時過ぎに、広州市政府を訪問して会議。
これは、先週突然、広州市政府より、広州投資促進中心の専門家に推薦されたので、会議に参加してくれ、という招聘を受けたため。
どういう趣旨だかピンとこなかったのであるが、広州市の外経貿の推薦という事なので、参加しない訳にはいかなかろうと、上海出張のスケジュールを変更して参加。

会議の席で少し分かったのは、広州投資促進中心(広州市外経貿傘下)の顧問という位置付けの様で、昨年までの「広州投資国際顧問」という呼称を変更したもののようだ。
全体31名が選ばれた様だが、内訳は、会計士・弁護士事務所(KPMG、PWC、King &Wood等)、銀行(三井住友銀行、ANZ銀行等)、政府機関(国土資源局、税務局、検疫局等)に分けられる。
日本企業は3社で、専門家(コンサルティング会社、会計事務所等)は僕一人。
また、中国、欧米、日本企業を問わず、独立系の会社は他に選ばれていないようなので、まあ、選んでもらって光栄、という事であろうか。
任期は2年という事だが、何をやるかはまだわからない。
広州の投資環境の改善に対する助言、という趣旨は会議の席上説明された。
名誉職ではないかと思うのだが・・・
ただ、こんな感じで、広州市政府と会話するルートが増えた事は、当社のクライアント企業様のためにもなるであろう。
あとは、広州総経理の麦さんに任せておけば、間違いは無かろう。

任命書の授与式(ちょっとピンぼけ)

今日の会議は2時間半。
全て中国語だったので、ちょっと疲れた。
会議終了後、14時の電車で香港に戻り(香港16時着)、そこから上海に移動。
香港19時発(上海21時半着)の飛行機なので、夕食は空港で食べる事になりそう。

部屋から一歩も出ない日曜

上は冷凍玉葱。刻んで炒めた物を冷凍してある。便利な世の中になったものだ。

金、土と宴席で、少々体が疲れたので、昨日は、部屋から一歩も外に出なかった。
昼は、即席麺でいいかと思い、僕の好きな中華三昧四川辛味噌を食べる事に。
それだけでは芸が無いなと思い、土曜日にジャスコで買った、冷凍玉葱とひき肉に豆板醤を加えて炒めたものを上に乗せる。
先日、虎の門の中華料理屋で食べたラーメンの真似だが、ひき肉がパサついて(炒めすぎか)、いまいちであった。
最近、つくづく思うのであるが、僕は料理が上手くない。

夜は、もやし炒め、エビのオリーブオイル炒め等を作って食べる。
徹底的に怠けたので、休養にはなった。

電車の中で

昨夜は、NNAの佐井社長、日経新聞さんと会食。
仕事の話というよりは、楽しく会食、という趣旨。
ただ、中国、アジアのビジネス環境と、報道の方向性に付いて、ざっくばらんな意見交換ができた事や、今後の展開に関しての協力要請ができたのは、大変有意義であった。

昨日の会食場所はセントラルだったので、MTRで移動。
時間が時間なので、社内は混雑している。
その中、60才過ぎと思しき男性が、30才そこそこの女性に席を譲っていた。
妊婦であるという判断であろうが、僕の目には、(妊婦ではなく)ただの太めの女性という気がして、見ていてちょっとドキドキした。
因みに、席を譲られた女性はあまりうれしそうではなかった。

若干話は変わるけれど、香港、中国の駐在員の間でよく話題に上るのは、中国人は、年長者や子供連れが社内にいると必ず席を譲る。中国人のマナーは悪いと日本人はよく言うが、この点においては、中国人は日本人より礼儀正しいという話で、ここ数か月で、数回聞いた。
実際、僕も子供連れの時は、香港のMTRで何度も席を譲ってもらった
日本に帰ると、電車内で、子供連れがいても、年長者がいても、前の若者が平気で席に坐っている光景をよく見かけるが(席を譲る事に対しての恥ずかしさもあるのだろうが)、中国や香港では、ほぼ間違いなく誰かが席を譲る。
たとえ割り込むように電車に入り、席を確保したとしても、席を譲るのが面白いところだ。
席を譲るくらいなら、始めからそうまで貪欲に席を確保しなくてもよいのでは、と思うのだが、「競争には勝たねばならない」というDNAが組み込まれているのだろうか。