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東莞市来料独資転換説明(その1)

1月7日に開かれた、来料加工廠の独資転換に関する東莞市と日系企業の定期交流会第7回の内容から、まずは、発票が提示できない国内購入品の譲渡に付いて。

来料加工廠の独資転換時の資産移管に関しては、無償提供設備に関しては、随分扱いが明確になってきたけれど、実務上、大きな問題になるのは、国内で購入した資産はどう移管すればよいのかという点だ。
東莞市の通知(東莞市の来料加工企業の操業を止めない三資企業転換に関する作業の補足通知:東外経貿[2009]108号)では、この様な資産は、受入れの現法側で、
固定資産|資本準備金

という仕訳を入れる事で処理をする事が規定されている。
会計処理はそれでよいのだが、問題になるのは、来料加工廠が国内資産を購入した場合、香港で決済が完了しており、増値税が納税されていないケースがほとんどという点だ。
つまり、購入時の増値税発票がなく、加工廠側の帳簿にも計上されていない。
この状況で、新設法人に移管した場合、簿価0の資産が突然有償譲渡される形になるので、譲渡額全体に対して企業所得税課税がされないかというのがポイントとなる。
これに対して質問し、「全額に課税する様な事はない」という回答があり、且つ、実例を聞いてもその通りの様だが、実際の課税額は、所管の税務局判断と言う事で、ケースバイケースの様だ。
元々、企業が適正な課税をしていない状況が前提となっているので、これはやむを得ない感があるが。

海外に出る日本人の若者

「水野さんと会いたい(飲みたい)という人がいますが、若くてまだ決定権もないので、商売には繋がらないと思うのでご紹介してよいものかどうか・・・」と言われる事がままあるが、僕自身は、若い人と話すのが好きだ。
前向きに夢を語る若者と飲むのは楽しいし、こちらも元気がもらえる。
やはり、夢を持っている事。
夢に向かって進んでいく意思がある事は、すごく大切だと思う。
それがある人間は、年齢に拘らず力に溢れている。

僕もまだ夢の途中。
成功と自分で思えるにはまだまだ時間がかかると思うのだが、何年かけても、自分が思い描く姿になりたいものだと思う。
夢を持つ人と、お互いの目標を語り合うのは重要な機会だ。
それによって、自分の意思(夢に向かって進もうという意思)が再確認できるのだから。

この10日間くらいで、中国で頑張る日本人の若者数人と話をした。
新聞には、日本人の若者が海外に出たがらなくなったと書かれているが、まだまだたくましく生きている若者はいる。
僕は、20代の頃から中国に赴任する機会をもらったが、そんな組織に守られた形ではなく、自分自身で海外に飛び出していく人達は、もっとたくましい。
海外に出るだけが重要とは思わないが、若いうちに海外で、そこの国の人たちと競い合うのは、重要な経験になると思う。
僕自身、20代の頃に、同世代の中国人と競い合ってきた。
福州赴任後半年間商売がとれなかった僕をしり目に、3才年下の中国人女性が、契約を立て続けに決めていて、情けない思いをした事もあった。
その時は、悔しさで、必死に仕事をしたものだ。
そんな感じで、がむしゃらに競い合う気持ちが、信頼や友情に変わる。

若くて地位がない頃だから、違う国の若者と同じ目線で競い合う事ができる。
そんな経験ができたのは、今の僕の財産になっている。
そして、同じ境遇にある若者に、声援を送りたいと思う。


東莞市と日系企業の定期交流会

1月7日に、来料加工廠の独資転換に関する東莞市と日系企業の第7回定期交流会が開かれたので参加した。
引続いてジェトロ主催の講演会を引き受けたので、その前の、状況把握のための参加である。

場所は松山湖のグランドハイアット。
最初に松山湖に行ったのは2002年の事で、その時は、建設が開始されたハイテク団地のプレゼン資料を見て、「何か、現実と違いすぎて夢物語のような計画図だな」と思った記憶が強いが、あれよあれよという内に、イメージ図通りの街づくりができてしまい、素晴らしいホテルも完成してしまった。
改めて感心。
定期交流会の内容は、なかなか興味深く、会員企業様向けに内容を整理しようと思うのであるが、その内、幾つかの内容は、ブログでも書いてみようかと思う。

定期交流会では、大きく分けて、
① 資産の移管(無償提供設備、国内購入設備、内装、不動産)
② 残余金の送金
③ 来料加工の今後
④ 税関(保税品の移管等)
⑤ 税務(初年度における移転価格同期資料の作成義務)
という内容に分けて、33個の質問に対する回答があった。

若干、本当かな?という内容もあったが、独資転換の手続が、随分明確になってきたのは確かなようだ。

兄弟船のラーメンと3軒のはしご

兄弟船の塩ラーメン

1月7日(金)の朝9時から東莞の定期交流会(来料独資転換)に参加する必要があったので、前夜広州に到着。
思えば、広州は、日帰りが多かったので、宿泊するのは久しぶりだ。

寒いので、出るのが面倒だなあと思い、15分程どこで夕食を食べるか(ホテル内で食べるか)悩んだが、意を決して兄弟船に行く。

兄弟船では、タコぶつ・キムチチャーシューを食べ、評判のラーメンを食べる。

その後、挨拶がてらゆるりに(2F⇒1F)。
その後、はなだんごに(1F⇒2Fの裏)。

久々なので、一夜で同じ建物内で3軒回ってしまった。
串カツを始めたというので、ウィンナーと半熟卵を頼む。
これはなかなか良い試みだ。

そんなこんなで食べていたら、近所の猫が来たので可愛がる。

早寝の筈が、かなりの夜更かしになってしまった。

独立してからの感覚の変化

2年前に起業した時、銀行融資は受けられなかったので、自分の手持ち資金と共同経営者の方に出して頂いた資金で2千万円準備して会社を始めた。
退職金が280万円で、会社からの住宅ローン返済資金にも満たなかったので、準備できる資金はこれが限界だった。
それを大雑把に言うと、香港に500万円、上海、広州、チェイスに500万円づつ配分して(子会社の社長に管理を任せて)会社運営を始めた。

各々、500万円の資金が尽きたらゲームオーバー。
誰も助けてくれない。
個人経営会社なら誰もがやっている事だが、シビアな世界だ。

その為、交際費を使うのも、ホテルのランクを上げるのも、会社員だった頃とは感覚が違う。
5千円のホテルではなく2万円のホテルにするというのは、とりも直さず稼ぐノルマが1.5万円上がるという事で、それができる確信があって初めてできる。
交際費を使うのも、良いホテルに泊まるのも、身銭を切るのと感覚は全く同じで、会社の経費だから楽だという気持はまったくない。
心地よい生活は、与えられるものではなく勝ち取るものだ。

そんな感覚があるから、前と同じ水準のホテルに泊まれる様になったのが、一層嬉しく感じるわけだ。
今から思うと、2ヶ月間スターバックスのコーヒーも飲めず、夕食HK$ 28で食べた吉野家の牛丼が高いと感じたあの頃が懐かしい。
二度と経験したくはないが・・・

他人の著作を読もうと思う

僕は、時間が空いている時は、何時も本を読んでいないと気が済まないタイプで、堅苦しくない本を、膨大に読み流す。
日本出張の度に、本屋を廻るのだが、本屋によって傾向があり、僕と相性が合っている場合(読みたい本がたくさんある場合)と、あっていない場合がある。
先日、新富士駅のキオスクで、限られた本の中で、読みたい本が溢れているので驚いた。
思わず、そのキオスクの本の調達責任者と会いたくなったくらいだ。
また、先日、日本橋で30分時間が空いた時、ふと飛び込んだ、コレド室町の本屋で、どこで探しても無かった、倉知淳の推理小説、猫丸先輩(2冊既に読んでいて、あと3冊を探していた)が2冊有って嬉しかった。

肩の凝らない本は、こんな形で絶えず読んでいるが、本業の専門書は、思い返せばここ数年、他の方の書いたものを読んでいない。
自分で分かっているだろうという意識が有ったのであろうが、人の専門はそれぞれ違うし、自分で思い違いをしている事もあるかも知れない。
人の蓄積を吸収するのは重要な事だ(世阿弥の言葉に耳を傾けよう)。

という事で、久々に、近藤義雄会計士の書いた増値税の本を買って読む事にした。
近藤義雄会計士は、僕が最初の本を書くにあたって、目標とした方だ。
昨日、30ページほど読んだが、なかなかおもしろかった。
やはり、同じ事でも、僕とは違う目線でとらえてあるので、考え方の整理に役に立つ。

あと、ちょっと前の話だが、友人の劉新宇弁護士(金杜弁護士事務所:King&Wood)から献本を頂いた(中国赴任者の為の法務相談事例集:商事法務)。
また、韓晏元弁護士(潤明法律事務所)・奥北氏(伊藤忠丸紅鉄鋼)からご挨拶と献本を頂いた(中国ビジネス実務債権管理・保全・回収:第一法規)。

増値税の本が終わったら、こちらも読んでみよう。


ブランクは恐ろしい

現在、1月7日のJETRO主催講演会(東莞)のレジュメ作成中。
JETROと東莞市の来料加工廠外資企業転換に関する定期交流会に引き続き、講演を行うもの。
定期交流会で出た話題(東莞市政府との質疑応答)の紹介と解説も、即興(?)で行う予定。

ただ、たかが2日日間仕事を休んだだけなのに、レジュメ作成が進まない。
いつもはすらすら出てくる文章が書けない、仕事をするのが辛い(苦しいという感じ)。

2日間の休息で、若干、精神的には楽になったが、その一方、てき面にこんな反動があるものだ。
怖い怖い。

ともあれ、明日(4日)レジュメ提出なので、しばしもがき苦しむ予定。

活動開始

1月1日・2日は、努力して(?)怠ける事にした。
一人で部屋にいる時、ついつい仕事をしたり、執筆してしまう。
長い間、完全に仕事から意識を外す事がなかったので、緊張が徐々に溜まっている様な気がする。

そんな訳で、2日間は、PCも開けない、走りもしない、部屋から一歩も出ない、仕事関係の本も読まない、という事で、ストレスを感じる事を一切しない事にした。
半日寝て、推理小説を読んで、DVDを見る。
そんな感じで過ごした。

これだけでも随分違う。
2日間は、仕事のE-mailが一本も来なかったのもよかった。

今日からぼちぼち活動開始だ。

石の上にも三年だ

「今の仕事にやりがいが無い」とか、「こんな事をする為に会社に入ったんじゃない」というセリフを吐く若者は多いだろうが、それを嘆く年輩の人自身が、若い頃、そんなセリフを吐いた筈だ。
僕も言った。

気分は炎熱商人か不毛地帯、という感じで入社すると(当時、不毛地帯は読んでいなかったが)、待っていたのは、船積書類の間違い探しで、来る日も来る日も、膨大な書類のスペルミスのチェックやホチキス止めだ。
おまけに、当時の上司は癖が有り(もう転職したが)、失敗すると、坊主頭にさせられた。

経理に配属されると、役員会資料や部長説明資料作りで、売上や利益の一覧表を作って、増減説明やレイアウト、四捨五入にやっきになった。
隣の課の表は太線なのに、こっちが二重線だと、「なぜ合わせない!」と怒鳴られ、○○現地法人の利益が伸びたのは何故と聞かれ、食料部のジュースだと答えると、「何ジュースだ?」と質問され、答えられなくて青くなったりした。

その時、同僚とこぼした愚痴が、「会社の中で、誰かがやらなければいけない仕事なのは分かるが、何で自分が!?」というもので、こんな事やっていても、何も将来の知識が学べないという焦りだった。

ただ、振り返ってみると、そうした一見意味のない仕事の中で、仕事の進め方、意思疎通の仕方、組織の考えが体得できた。
また、仕事の中で興味を持って、本業の会計・税務は勿論の事、経済学、財務分析等の本を読んで、会社の中に溢れているサンプルで試して学ぶ事もできた。

こんな感じで、石の上にも三年というか、最低十年くらい我慢して続けることで、知らないうちに会得する事がある筈だ。
これは、スポーツ選手が、腕立て伏せや腹筋を続ける様なもの。

そんな訳で、今の仕事が面白くないと言って、転職を続けると、結局、何も身に付けられない可能性がある。
中国で人材採用をしていると、1年毎に転職を繰り返し、その豊富な職種を売りにしている若者を見かけるが、やはり、我慢から学ぶ事も必要だと思う。
古めかしい発言かもしれないが、人間我慢も必要だ。

博多道場でもつ鍋を食べる

辛子レンコンと揚げだし豆腐

歓送迎会があったので、博多道場を予約する。
最近、博多道場と吉によく行く。

まずは、辛子レンコンと揚げだし豆腐を頼む。
辛子レンコンと言うと、食中毒で死者が出たイメージが強いのだけど、7歳年下の人は知らなかった。
インターネット検索してみると、1980年代にそういう事があった、というだけの様で、現在特に問題はないようだ。
認識を新たにすると共に、ジェネレーションギャップを感じる。

胡椒手羽先と揚げだし豆腐

胡椒味の手羽先と餃子。
胡椒味の手羽先は、「いくら胡椒味といってもかけすぎだろう!」と見た時は思ったが、食べですと病みつきになる味。
餃子は手堅い美味しさ。

もつ鍋

博多道場と吉が同じビルにあるので、どちらのもつ鍋が美味しい、という話が香港居住の日本人の間でよく語られるのであるが、先日の福岡出身の方は、「吉の味が本物です」と言っていた。
香港人の人は、「博多道場が美味しい」と言っていた。
因みに僕は、どちらも美味しく食べた。
最後に、五島うどんを食べてしめ。

久保田千寿を飲み、他の料理もいくつか食べたが、3人で HK$ 1500とお得であった。