第二森ビルで講演と展望台見学(足がすくんだ)

上から眺める金茂大廈

第二森ビルで講演を頼まれた。
11月は6個の講演をお受けしたので、レジュメづくりであたふただが、今回は「アットホームな会ですので、レジュメも簡単でいいです」と言ってもらったので助かった。

1時半に集合すると、先ずは上海市の模型のあるところに連れて行ってもらい、街の推移や今後の都市計画の説明を受ける。
それが終わると展望台に。
さすがに高い。
金茂大廈をこんな角度から見るというのは不思議な感じだ。

100階の展望ラウンジは、かなりの部分がガラス張りになっていて、下が見下ろせる。
高所恐怖症の僕には拷問の様な場所だ。
う~ん。これはさすがにやめてもらいたい。

終わると5階に移動して講演。
休憩時間が30分くらいあって助かった。
暫くは体が震えて話せなかった感じ。

講演後は会食。
上海料理で大騒ぎ。
懇親会が終わるとまだ8時半。
速いテンポの会だった。
食事を終えて見上げる第二森ビル。
さすがに高い。

外灘と上海大廈

外灘で仕事があったので、終わってからちょっとぶらついてみた。
ちょっとうれしい事もあったし。

ちょど風が気持ちよく、15分くらい散歩する。
忙中閑ありだ。

最初に中国に来たのが1985年。
先ずは外灘を(大雨の中を)歩いたのだった。
あ~、あの日のこの場所からすべてが始まったんだなぁ、とか考えながら散歩。

そこから上海大廈に行ってみる事に。
ここは泊まった事も行ったこともないのであるが、思い出深い場所である。


このビルが出来た当時は、威容をはなつ摩天楼だったんだろうなぁ。
いまは、ちょっと下町っぽい雰囲気がそこはかと漂っているが。

疲れたので、コーヒーショップでカフェラテを飲む。

昔にトリップしたような気分。

1時間くらいのんびりしてしまったので、それから急いで仕事に戻る。

良い気分転換だった。

今度泊まってみようかな。

丸紅経理の送別会(懐かしい仲間と飲み!)

(日付は18日にしてありますが、実際は17日の夜の出来事です)

講演会⇒懇親会と終わらせると、東海道線にのって東京駅へ。
八重洲の居酒屋で、丸紅経理時代の仲間が送別会を開いてくれた。

10月の出張の時に、他の人が第一次送別会を開いてくれたので、これが第二次。
11年以上前に一緒に仕事をした人たちが集まってくれたので有難い。

監事をしてくれた佐藤君(元北京駐在)の、「予約名は、丸紅の水野にしておきました!」という、ウェットな感覚が嬉しい。


海外経理時代の集まりなので、「米国の移転価格税制の文書化が義務付けられた時の話」や、PE課税の話や、海外出張所に対する経費送金の話が(ちょっとだけ)出たりで、マニアックながらも懐かしい。

あの頃は、僕は米国の移転価格の担当で、文書化のためのデータ作りを、毎日深夜までしていたものだ。
基礎計数作りが大変だったので、千本ノックの様な単純作業の連続。
上司の人に「今日は力付きました。申し訳ありませんが帰ります」というメモを置いて帰った事もあったなぁ。

そんな感じで作った、Profit Splitのデータは結局使われなかった様な記憶が・・・

あと、話題の大半を占めたのが、松戸(馬橋)社宅ネタ。
七輪という店で、にんにくホイル焼きを食べたとか、男3人でカラオケボックスに行って「アジアの純真」を歌ったとか、誰も入った事がなさそうな「旅のらくだ」というバーに恐る恐る入ってみたとか、そんな話題で盛り上がる。

居酒屋ながら、日本というのは食事の美味しいところで、鍋物を満足して食べた。

が、良くなかったのは、生搾りグレープフルーツハイ。
名前にひかれて頼んでみると、全然生搾りでない(果肉のかけらも見られない)。

くそーっと思って、坪田君にそれを持たせて記念撮影。

因みに、坪田君は、僕が海外経理時代に、新入社員で入ってきた。

影のうわさで、「おじさんになった、おじさんになった」と聞いていたので、楽しみにしていたのだが、さほど変わっていなくて期待外れだ。

ともあれ、懐かしい飲み会でした!

横浜で講演会

秋だなぁと感じる景色

また、一週間弱ブログの更新が止まってしまいました。
日本出張が忙しかったもので・・・

という事で、数日前の話になりますが、日本出張の事など。

17日の月曜日は、香港貿易発展局主催の横浜セミナ。
横浜に実家を持つ僕としては、かなり有難いセミナーだ。
とは言え、横浜の講演は昨年に引き続き2回目。
もう少しお呼びがかかるといいな。

今回の場所は、関内の情報文化会館。
会場の前から県庁(かな?)が見える。

いい季節で気分がいい。

会場はこんな感じ。

今回は部下もいないし、主催の方は忙しそうだしで、講演中の写真が撮れなかったので、やむなく開演前の写真を撮ってみた。

視聴覚室の様なつくり。
こんな感じのところで話すのは久しぶり。

奇麗な会場で少し嬉しかったけど、関係者席が最前列の真ん中だったので、こそっと抜け出したりできない。
開演中は、ちょっとかしこまっていなければいけなかったので、肩が凝った。

ともあれ、無事講演は終了。

懇親会の後、東京へ。
夜は、丸紅経理部時代の仲間が開いてくれる、第二次送別会だ!

起業2ヶ月半を振り返って

起業2ヶ月半が経過した。
この2ヶ月で心は、強い不安⇒期待⇒確信と、激しく動いたものだった。

いける!という確信めいた気持を持ったのは2週間ほど前(起業2ヶ月くらい経ったとき)。
それまでは、いつも不安を抱えて走っていた。

だから、確信をつかむまでは、怖くてお金が使えなかった。
移動も、タクシーには乗らず、いつも電車・地下鉄で移動した。
香港空港までの移動も、「エアポートエクスプレスはHK$100するから、半額のリムジンバスに乗ろうか」とか考えた。
昼食に、天丼(HK$40)が食べたいけど、半額で済ませるためおにぎり2個で終わらせた事がある。
上海で泊まるホテルは、200元台のビジネスホテルにした。

社会人になってからの20数年で、こんな事を考えたのは初めてだ。
それまでは、「香港はタクシーが安いや」と言って、すぐタクシーに乗る癖が付いていたし、HK$40の弁当を高いと思った事はなかった。

収入ゼロから始まる不安であった。

気にせず食事ができる様になったのが2週間ほど前。
走り続けで疲れた体をいたわって(あと時間の節約で)、必要時にはタクシーに乗る様になったのが1週間ほど前。


収入が増え、確信が生まれて、本当にほっとしている。
2ヶ月ちょっとで落ち着いて本当によかった。
目まぐるしく精神が変化した2ヶ月。

好きな事が自由に出来ているし、夢があったので、辛いとは全く思わなかったし、意志とプライドを持ち続けて頑張ったけど、起業直後の状況が長く続くと精神的に辛かったろう。

ともあれ、2ヶ月ちょっとで自信ができた。
お客さまも増えた。
仕事の依頼も、ありがたい事に前よりたくさん頂く。

香港、上海に拠点を作り、更に、広州、深セン、日本と拡大する準備も進んでいる。

自主企画の講演会も実施するし、まだ作っている最中だけど、HPも出来てきた。

2ヶ月の全力疾走でここまでできた。
部下を迎え入れる準備(収入の確保)も出来ている。

1年後にどうなっているか、夢と期待を持って、まだまだ走ろう。

上海法人設立認可取得

香港法人を立ち上げてからの設立になったので、ちょっと遅れてしまいましたが、やっと上海法人の設立許可を、外高橋保税区政府より取得しました。
Mizuo Consulting Shanghai Ltd。
設立認可は2008年11月10日付です。
オフィスは、外高橋保税区内と、虹橋路の2か所。

今までは上海法人が無いので、上海での活動に支障がありましたが、これでやっと華東地域での活動が本格化できます!

開業記念の講演会も、1月にはやはり花園飯店で実施できる様に頑張ります。



あと、深センセミナーの宣伝をもう一回させて下さい(先日貼り付けた申込用紙が、開けなかったし)。

操業を止めない来料加工廠の独資転換セミナー

告知とお申込みはこちら

今度は開ける筈です。

定員が150名様。

告知1週間経過段階で、お申込みが100名様弱なので、まだ余裕があります。

是非!

水野失踪?

昨日は午前中に香港で打ち合わせをしてから、東ガンに出発。
ここでの打ち合わせを終えると、深センで会食予定であった。

東ガン(長安鎮なので、深センから近いところ)との往来が、思った以上に順調で、会食までに1時間ほど時間が空いた。

くたくたでもあるし、マッサージをしてもらう事に。
携帯を切らないまま、ロッカーにしまっておいたら、マッサージが終わってミスコールが18個も入っている!
「大丈夫か。連絡されたし!」というsmsも何人かから入っている。

どうした事かと思ったら、香港での会食アポを1日間違えていて(13日と思っていたら12日だった)、僕が時間になっても現れないので会食予定の人が心配して電話。

それが1時間も繋がらないので、「過労で倒れたか!」と心配していろいろな所に連絡して大騒ぎになっていたのであった。
知らぬは僕だけ。

マッサージ後は平謝りの連続だった。

いやぁ、久方ぶりの失敗。
ついでにいうと、マッサージ師は能書きは多いがたいそう下手で、最悪であった。


それが昨日の出来事。

今日は香港商工会で講演会。
来料加工の独資転換という、11月26日の講演のネタのさわりを話す。

充実した1日であった。

幸せ?不幸?

開業以降、宴席の無い日は1日15時間働いている、
と言っていたのであるが、最近、もっと忙しくなってきて、17時間働いたりしている。

一昨日は、朝の8時から働いて、仕事が終わったのは、午前1時半。
その間休んだのは、昼食10分(月見うどんを食べた)と、夕食20分(家で食べた)だけだった。

それで、昨日は、朝の6時に起きて深センに。
電車の中で、講演の原稿を読んでいたので寝れなかったし、結局仕事が終わったのは午前2時。
体は辛いといえば辛い。

親には心配され、嫁さんには、「これがあなたのやりたかった事なの?辛くないかい」と心配されでいる訳だけど、答えて言えば、「そう。これが僕のやりたかった事」。
だから、心配はしないで欲しい。
いま、すごく贅沢な時間を過ごしているし、ストレスがないので、体は前よりずっと楽な筈だから。

確かに究極的に忙しいけど、
● 顧客の皆さんが支えてくれる。
● 毎日契約が取れる(信頼してもらっていると感じられる)
● 現場に出て、問題に直面してそれを解決する方法を思案する(自分のコンサルタントとして  の価値を確かめ直せる)。
● 提携先が支えてくれる。
● 素敵な人たちが、一緒に仕事をしたいと誘いかけてくれる。


そんな環境なので、体は辛いけど、夢を見てる。
あと、人の役に立ってると実感できるし(巡回医とかと同じ気持ちかな)、たくさんの人にも支えられてるし、何より好きな事を、誰にも止められずにできる事が有難い。
コンサルティングをやるために独立したのだから、この環境にどっぷりつかりたい。

あと1年、同じ事をやったら体がつぶれるかもしれないけれど、もう数ヶ月したら、信頼している連中も、僕の所にやってくる。
それまでに、魅力のある会社にしておきたい。

まだまだ夢を見て頑張ってます!

ブログに出たいと言ってくれる人

薗田さん

(これは、10月28日の出来事です)

浦東の陸家嘴(金茂大廈)で面談を終わり、「ちょっと時間が空いたのでどうしようかな」と考えていると、隣に新森ビルが目に付いた。

そういえば、薗田さんがいるぞ。
久しぶりなので呼び出そう。

と考え、電話をかけて久々の面談。
近況報告の後、軽く仕事の話をした。

新森ビルにも入れたし、一石二鳥だ。

僕のブログも開始して4年。
最近は、ちょっと忙しさのあまり更新悪いけど、ともあれ、こつこつ続けてきた。

そんな甲斐有り、ブログに出たい!と言ってくれる人がままいる。
薗田さんもその一人。

堅い仕事の割に乗りはいいのか!?

そんな薗田さん。
上海と香港半分ずつの生活が決まったとの事。

「香港・上海半分ずつの先輩として、どうですか」と聞かれたので、

「辛いです。最初は飛行機乗りすぎて鼻血がでます。毎回同じ機内食が出てくるので、見るのも嫌になります。最初は飛行機内で仕事してたりしますが、その内余裕がなくなってぐったりしてるようになります。あと、生活が不規則になるので、家庭が乱れたりします」
と脅かしておいた。

本当はそれ程でもないけど、それでも、最初のうちは、絶えず顔がむくんで、飛行機から降りたら鼻血が必ずでたのも事実。
あと、エコノミーでの移動は体にきついし、時間のロスになるので、しわ寄せが日頃の業務に出るのも確か。

という訳で、しんどいのはたしかなのですよ・・・

まあ、苦労を語り合える仲間ができてよかった、というところか。

因みに、新森ビルの地下のレストランはおいしそうだったので、今度、食事をしてみよう。

谷垣君学生になる

FESCOの学校があるビルの前で

かつて経験した事がない忙しさの中、全力疾走を続ける毎日。
たまにちょっと立ちくらみが・・・
やはり、20代の様なパワーはでないなぁ。

そんな状態の僕をしり目に、のんびりライフを手に入れた人間が上海にいる。
元香港の同僚谷垣君である。
41歳にして学生。
会社派遣の語学留学生である。

当然、勉強だけしていればよいという環境。
1日5時間勉強すれば、あとは寝ていてもいいという環境(ってことはないか!)。

確かに僕も20年前に経験したのであるが、人が今さらやっているのを見ると、大変うらやましい。

語学研修生は、なかなか友達もできないので、毎日同じ店(新藤亭)で、同じ面子で食事をしているという情報を入手した。
たまたま僕も、同じ時間に近くを歩いていたので、からかい半分に谷垣君にSMSをしたら、本当に同じ店で同じ面子で食事をしていた。
取りあえず合流。
好奇心で彼の学校を見学に行く。

谷垣君学校生活

何やら学校とは思えないような作りであるし、ずい分狭いスペースであるが、僕が勉強した時のTLI(台北)に比べると、ずい分奇麗だ。
恵まれているというべきだろう。

昔からのんきな人間であったが、学生になった事で、更に緊張感がない顔になっていた。

とは言え、環境適応能力がない人間だと、40代で研修に出た事で(会社に近づけずに、言葉もよくわからない中、若者と生活するので)、プチ鬱になってしまう人間も少なくないようだ。
とすれば、こののんきさは天賦の才能というべきか。

そんな谷垣君であるが、学習開始3週間にしては(実は、これは10月28日の出来事)、ずい分語学が上達していて驚いた。
40代にしては上出来だろう。
実は語学の才能があるのかもしれない。

と、取りあえずおだてておこう。

半年後の語学力の向上に期待だ。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ