週末は、連載3本+スポット1本+ブログで合計16000字の執筆をしたので、少々あたまふらふらになった。
これも安らかな夏休みを取る為。
致し方ない。
今日は上海に移動中、残り2本のスポットを仕上げるべく、機内で悪戦苦闘。
上海に到着。
死ぬほど暑い。
家からオフィスまでの徒歩20分が辛い。
タクシーもつかまらない。
本当に暑い・・・
上海に到着。
死ぬほど暑い。
家からオフィスまでの徒歩20分が辛い。
タクシーもつかまらない。
本当に暑い・・・
上記の点に関して、保税区関係者からの回答は以下の通りであった。
● 国内流通権の申請は450件。その内、認可を取得しているのが200社程度。
● 区外にコンサルティング性(非営業性)の分公司を開設した実績は、100社程度。
浦西地域も実績あり。
● 上海市以外では、広州、天津等に、分公司を開設した外高橋保税区企業が有る。
上海市以外に付いては、地域による管理の違いがあるので、確たる事はいえないが、少ないながらもこの様な実績がある。
● 分公司を開設した場合、「コンサルティング性の分公司」であれば、従来の区外出張所(弁事処)と実質的に何ら変わりが無いので、課税関係も同様。つまり、保税区で一括納税。
但し、国内流通権を取得した上で、営業性の分公司を区外に開設するのであれば、個別に会計記帳し、納税を行う必要がでてくる。
外高橋保税区法人で、国内流通権を取得した企業が200社程度というのは、少ない様な気がするが、保税区企業の国内流通権取得(営業範囲の拡大)が認められたのは、昨年7月、つまり、1年前の事なので、それを考えれば、まずまずの実績と言えるのかもしれない。
申請の受理が、更に、250社程度有るという事は、あと数ヶ月で、国内流通権の取得が進むのであろう。
国内流通権を取得した外高橋保税区企業は、区外に営業性の分公司を開ける事となっているが、この様に区外営業性分公司を開いた場合、(交易市場ではなく)自社オフィスで増値税発票の起票ができるようになるのかに付いては、調整中であり、現時点では不可との事。
まあ、国内流通権を取得した保税区法人でも、会計・税務処理の煩雑さを嫌い、敢えて営業性ではなく、コンサルティング性の分公司を開設する例が多い様なので、現状、増値税発票の起票に関して(自社起票に付いて)は、それ程逼迫した問題とはならないのであろうか。
また、区外分公司の開設登記は意外に進んでいるようだ。
保税区関係者の言う100社というのは、登記手続が完了していないものも含んでいる様なので、実際には(登記完了しているのは)数十社という事であろう。
区外出張所が行う営業行為に付いては、まだ、正式な立ち入り検査は無いようであるが、年次検査の折に、(浦西地域で)問題指摘を受けたケースが何件か有る様で、これを踏まえて、(体裁を早急に整えるべく)分公司登記を進める動きが進んでいるようだ。
分公司登記をしたとしても、コンサルティング性の分公司の場合、営業行為が出来ない事には変わりが無いので、本質的な解決にはならない訳であるが、分公司登記をすれば、問題は若干弱まるという事なのであろう。
因みに、上海市(浦東)の場合、地方通達が公布され、保税区法人の区外分公司登記を認めているのでよいのであるが、その他の地域ではどうであろうか。
筆者の知る限りでは、他の地域は、この様な地方通達は出していない。
ただ、先週、広州保税区にヒアリングしたところ、広州市工商行政管理局経由、国家工商行政管理局に確認した所、上海と同じやり方をしてよいという回答であったとの事で、これを信じれば、上海の方法が全国に広まる形で収束していくのであろう。
但し、国家工商行政管理局の中でも、現時点では、方向が明確に決定していない(違う意見も有る)という話も聞いており、この点、真偽の程が定かでないが、もう少し、成り行きを見守る必要がありそうだ。
では、既に、保税区貿易会社を開設している場合、「保税区法人の営業範囲を追加して、国内流通権を取得する方法」と、「区外に販売会社を設立する方法」のどちらがよいかという点であるが、既に、字数も多くなってしまったので、これは、別途「中国ビジネス解説」に寄稿しよう。
これだけでは、あまりにひどいといわれそうなので、検討に当たってのポイントだけ記載すれば、以下の通りとなる。
1)外貨の問題は解消している様だ
保税区法人を活用する場合の最大の問題点は、「外貨換金制限」と言われていた。
つまり、保税区外貨管理規定は、保税区法人の外貨の取得(人民元から外貨への換金)を原則として認めていない(配当、その他一部の例外は除く)。
よって、中国から見た輸入+国内販売を主としたビジネスモデルの場合は、外貨バランスが取れなくなる事が問題であったが、保税区の中国銀行に確認した結果、国内流通権を取得した保税区企業に対しては、外貨換金を認めているとの事。
2)増値税輸出還付は取得できる
保税区法人は、増値税の輸出還付請求権が無かった。
これは、「輸出財貨税額還付(免税)管理弁法:国税発[1994]031号」に、輸出経営権を持つ企業のみが、増値税の輸出還付請求が可能と規定されている為。
但し、国内流通権を取得した保税区企業は、外貿流通経営者登録が可能である為、この、正規の手続を経た保税区企業は、輸出還付請求権が取得できる事となる。
3)会社登記地に営業実態が無いという点は、問題が残る。
また、増値税発票の自社発行が出来ないとすれば、この点も手間。
4)会社清算・新設の手間は省ける。
既存の保税区法人が不動産を保有している場合は、新設法人に移管すると、高額の税金が発生する。
また、多額の控除待ち増値税(仮払い増値税)を有している場合も、清算時期によっては、不測の損失が生じる危険性がある。
その他、色々な問題点が生じるので、それを相対比較しながら検討し、対応を決める必要があるという事である。
夜8時に無事パーティーも終わったので、僕の家の近く(復興公園)のカラオケボックス(キャッシュボックス)に内輪で移動し打ち上げ。
メンツは、M&C・コンシェルジュ・(講演会とパーティーの運営をお願いした)宝広告さんの面々。
キャッシュボックスは、随分流行っている様で、予約をしていても、ちょっと時間が違うと(僕らはちょっと早く着きすぎた)なかなか部屋の割り振りを受けるのが大変。
順番待ちの人たちが、皆な、押しの強さで主張しているので、こちらも、主張を繰り返してして15分で部屋を確保。
飲み物が運ばれてくるのが遅かったので、若干、開始が遅れたが、ともあれ、夜9時15分には打ち上げ開始。
最初は、穏やかな立ち上がり。
とはいえ、10分経過すると、エンジンが掛かってきて、盛り上がりを見せる。
皆な、座っておらず、汗だくだ。
特に、踊って場を盛り上げるのは金さん。
隣の部屋に案内されてきた西洋人一団が、自分達の部屋に入るのも忘れて、僕達のドアに張り付いて、目を点にして金さんの踊り+僕達の状況を凝視していた。
(金さんと僕で手を振ったら、目をそらしていた)。
西洋人の意表をつく金さんの踊りはたいしたものだ。
金さんと初めて会ったのは4年前。
場所は深センで、随分リラックスした金さんは、カラオケで激しい振り付きで「ドリフのズンドコ節」を踊っていた。
そののりにいたく感銘を受けたものであるが、その後、上海で会う金さんは、別人の様な紳士で、拍子抜けをしていたが、「4年ぶりに、やっと僕の知っている金さんに会えた!」という感じがする。
その後、大西さん・金さん・水野で、懐かしいバブルの時を思い出して、少年隊の「仮面舞踏会」。
大西さん・金さんが昔やっていた芸の様で、「分からなくても、僕と金がカバーしますのでOKです!」と大西さんに言われスタート。
適当に踊って歌う。
そう言えば、(今は知らないけど)昔は、飲み会で、ネクタイを頭に巻く人がたくさんいたなぁと懐かしく思いだす。
因みに、今週一週間で、僕がネクタイを使ったのは、この5分だけであった。
ともあれ、久しぶりに大騒ぎ。
楽しい一夜であった。
講演会が終了すると、隣の錦江ホテルの敷地内でパーティー。
僕が前から書いていたけれど、イメージは「結婚式の二次会」のような雰囲気が目標。
何故、意固地にこのイメージに固執したかと言うと、以前の嫌な経験を反面教師にしたため。
いやな経験とは、僕が以前に参加した、あるメディアの開業式典。
これはどういうパーティーだったかと言うと、参加者が飲み物も配られないまま、宴会場に押し込められ、ずーっと立ったまま、本社から来た方の挨拶・紹介、招待した政府関係者の紹介と、彼らに対する感謝の言葉を聞かされたもの。
僕は開会30分(それでも、開場からは1時間)で、腹を立てて出てきてしまったけれど、このプレゼンはまだまだ続きそうな気配であった。
また、開場前(既に、人は十分集まっている状況)も、主催者側が、「ここは、来賓の方々のスペースだから!」と大声で話しながら枠取りをしている。
来賓と言うのは、中央からきた政府関係の事で、どうやら、呼ばれた大半の人間は来賓ではないらしい。
これではいかん。
「そんな事なら、事前に言ってくれよ。出ないから」というのが正直な気持。
この時感じたのは、「結局、今日の主催者は、自己満足の為に、参加者を使っているだけだな」という事。
その印象が強くて、「仮に自分が主催するとしたら、参加者軽視のパーティーはやるまい」と心に誓っていた。
ただ、考えてみれば、会社の記念式典というのは、程度の差こそあれ、そんな傾向になりがちだ。
だから、参加してくれた方が、純粋にくつろいで頂けるパーティーをやりたかったし、その為には、通常の会社の記念式典と、まったく違った企画にしたかった。
それが、結婚式の二次会の雰囲気という言葉になったもの。
先ずは、開会の挨拶。
「会社を作った喜びとか、作るまでの苦しさとか、いろいろ有りますが、そんな事は話しませんから。ともあれ楽しんでいって下さい!」という短い挨拶で開会。
あとは、大西さん・金さんとのトークショー。
「大連で大西さんはアンディラウに間違われたと言っているけど、実はバリーマニローの方によく似ている」という話を紹介。
大西さんと金さんは、17年来の付き合いなので、もっと話したい事があるようであったが、「暴露大会になってはいけないから」とかなり自制されていた。
後半には、花木蘭の大内さんとのトーク。
花木蘭は、僕が行きつけのバーであるが、オーナーの大内さんは、男性・女性ファン共に多い様なので、集客を期待して助っ人を依頼。
功を奏した(と思う)。
そんな感じで、和やかに2時間は過ぎていった。
香港の懇親会の時もそうだったけど、会が終わっても(中締めが終わっても)たくさんの方が帰らずに、酒を飲みながら話をしていてくれたのが嬉しかった。
楽しんでいただけたという事だから。
パーティーに参加頂いた方は160名。
大勢の方の参加に感謝。
今日は、僕が上海に根付いた(根付く)記念日という事にしよう。
上海の皆様、ありがとうございました。
因みに、亀一も広州から参加。
一応、道案内はしていたが(とは言っても、プレートを持っていただけ)、会場では、食べているだけで、何も働いていなかったと領家さんが暴露していた。
パーティーの状況は、また明日の更新という事で・・・
本日は、朝の9時半発便で上海に。
明日はいよいよM&C上海開業記念講演会・パーティー。
過去5年間で、200回近い講演をこなした僕ではあるが、主催は初めて。
特に、開業記念の重要な講演。
緊張する。
数日前に、僕の番が来る前に、全員観客の方が帰ってしまう悪夢を見たし、随分、方に力が入っているようだ。
頑張ろう。
名古屋についたら12時丁度。
1時間半時間が有ったので、昔、祖母+おばさん(共に、故人)が住んでいた家にタクシーで駆けつけ、お参りだけ済ませる。
僕をすごく可愛がってくれた祖母が亡くなったのは1999年。
意識が混濁していた時期が半年以上続いたけれど、一回だけしか帰ってあげられなかったし、お葬式にも出られなかったのが、今でも後悔している事。
せめてあと3年元気でいてくれれば、名古屋関係の出張多かったのに。
名古屋で講演会をやったり、中日新聞に顔写真付きで紹介された姿を見せてあげられて、喜ばせてあげられたのに。
なんて事を、名古屋に来ると考えてしまう。
今回は、名古屋滞在時間は5時間だったけど、ほんの15分だけでもお参りが出来たのは本当によかった(タクシーの往復で50分掛かったので、それでもぎりぎり)。
誘致セミナーはつつがなく終了。
新幹線に飛び乗り実家の横浜へ。
新幹線の中で、来週水曜日の講演会(M&C開業記念講演会)のレジュメを作成。
移動中も休まらない最近・・・
とか思うけれど、正念場の7月はあと一週間。
今まで頑張ってきた5年間(コンサルティングを始めてから)。
社内事情(縄張り)で3年以上遅れたけれど、上海にやっと打って出られたという事実。
いろんな想いをもって、来週の講演+パーティーに臨もう。
今日の夜は、つかの間、横浜の実家で両親とリラックス。
この歳になると、安心してわがまま言えるのは親くらいしかないもんだ。
湯豆腐を食べて、ビールを飲んで就寝。
緊張感がまだあって良く寝付かれず。
その後、1時半にニューオータニホテルに行き、誘致セミナーにジョイン。
つつがなく進行し、終了する。
仏山市は、広東省で、自動車関連の国内販売主体の生産型企業を作る場合には、最適の場所というのが僕の意見。
どこがいいかというと、立地(広州へのアクセス)、コスト、人材確保、インフラなど、総合的な面でのバランスの良さ。
そんな訳で、誘致セミナーに参加した次第。
参加したこと自体は、仏山市政府との関係強化という意味では良かったと思うけれど、僕の性格からすると、誘致セミナーは合わないなぁ〜というのが実感。
やはり、基本的には儲けぬきで講演会を引き受けている(勿論、講演料は貰うけど、本来取るべき金額から比べたら、嘘の様な金額で引き受けている)のは、大勢の方と触れ合って、質疑応答で、真剣勝負をしたいから。
この真剣勝負に勝てたら(会場の皆さんを満足させられたら)、コンサルティング会員になってくれる訳で、ふれあいの場+営業の場+僕に緊張感を与えてくれる場所が講演会。
誘致セミナーは、その場所の事(その開発区の特徴、良さ)に質問が特化してしまうわけで、Q&Aに刺激が無い。
Q&Aが僕の講演の売りだと思っているので、これが弾まない講演は辛い。
あと、もう一つ重要なのは、今回は、僕自身が本当に仏山が良いと思っているから、仏山が良いと発表するわけだけど、誘致セミナーの場でそういう発言をしても、聞き手からすると、(会の趣旨からして、誉めて当たり前なので)結局、頼まれたから言ってるんじゃないか、とか、水野は頼まれたら誉めるのか、とかいう誤解を持たれるのではないかと感じてしまう。
考えすぎなのかもしれないけれど、純粋な誘致セミナーで発言するのは初めてなので、こんな違和感をついつい考えてしまった次第。
やはり、コンサルタントは、誘致セミナーに出るべきではないな。
外で中立的に発言すべきだ(誉めるにしても)。
よって、すごく良いところでも、誘致セミナーの参加は、暫しサスペンドしよう。
そんな事を考えながら、講演会は終了。
その後は、丸紅大阪支社の付近でイタリアンを食べる。
期待してなかっただけに、大感激の夕食であった。
11時に会社を出て浦東空港に。
1時半に浦東発の便なので、渋滞が無ければ余裕。
途中で事故が一件有ったが、12時には無事空港に到着した。
上海の空港で時間があまったときは、シャロンで食事をするのが15年間の習慣。
日本料理自体が殆ど無かった15年前の中国で、空港でうどんを食べられたのは画期的で、上海の空港に来ると、ついついシャロンで食べてしまっていたのが、条件反射になっているようだ。
今でも、上海の空港に到着すると、無意識のうちに、牛肉そばか天麩羅うどんが食べたくなる。
特に美味しい訳では無いのだが・・・
今日の昼は、僕はマカロニサラダと牛肉そば。
亀一はカツ丼。
マカロニサラダは二人で分ける。
僕は、お子様趣味といわれるがマカロニサラダが大好き。
シャロンのマカロニサラダは、比較的こった感じなので(意外に美味しいけれど)、厳密に言うと僕の一番好きなお子様的ハム&マカロニの味ではない。
ただ、マカロニサラダというのをメニューで発見すると、つい頼んでしまう。
亀一は、もくもくとカツ丼を食べている。
美味しいかどうか分からないが、人が食べているのを見ると、なんか美味しそうで羨ましい。
今は、それ程ではないが、20代の頃はトンカツが大好きで、「太らない体があったら、毎日、カツ丼とカツカレーを食べたいな」と真剣に考えていた程好きだった。
懐かしいものだ。
飛行機には予定通り搭乗。
大阪迄の飛行時間は2時間弱。
二日酔いで気持悪いので、座席に座るなり1時間熟睡。
起きてからは、明日の講演の内容を考える。
今回は仏山市政府の招待なので、僕はビジネスクラスに乗れたのだが、お腹が一杯だったのと、眠たかったので、機内食は食べられず。
ただ、見回してみると、あまり美味しそうな食事ではなかった感じ。
飛行機を降りた後、亀一に、エコノミーは何が出たかと聞くと、「うな丼とうどんでした」との答え。そちらの方が良さそうだ。
ただ、「カツ丼を食べた1時間後に、うな丼を食べるのはちょっときつかったです」という亀一。
確かにそれは食べすぎだ。
「お腹一杯だったら、食べなくてもいいんだぞ」と諌める。
大阪到着は午後4時半。
6時半に夕食を食べに行く。
2人でうろうろ探した挙句、ワインが飲める日本料理の店に決定。
なかなか良い店であった。
締めは二人共いくら丼(半分づつにした)。
日本は美味しくていいや。
最初は静かに歌っていたのであるが、どうやら、にせものっぽいロイヤルサルート(なんか瓶も違っている様だったし)で頭がいかれたり、宇宙人成瀬のパワーに押されたりしているうちに、なんか勢いづいてきた。
最近、悩みが多いという(カルチャーギャップか!)噂の成瀬さんも、一応元気そう。
カメラを向けると異様に意識するのは以前の通りで、振り付きで演歌を熱唱する。
ついでに亀一も影響されてきて(もしくは、隠していた凶暴さが顔に表れ)、怖い顔をする亀一。
太って髪が短くなり凄みを増した顔が怖い・・・
(因みに、隣で歌っている僕の顔があまりに見苦しいのでカット)。
唯一、理性的だった千葉さん、申し訳有りませんでした。
因みに、これが、会食開始早々で、穏やかな顔をしていた亀一。
これは仮の姿か!?
しかし、初めて会ったときと随分輪郭が変わってきたものだ。