嫌な奴だと思った時は

先日のブログで、なんだかんだ言っても、自分は中国が好きなんだろうという趣旨の事を書いたが、ここ数年、あまり中国でいやな目にあった事がない(特に、日本人であるが故に不愉快な目に遭った事がない)事も、その気持の一因となっている。
では、昔から同じだったかと言えば、23~25歳で台湾・福建省にいた時は、毎日の様に嫌な目に遭い、腹を立て、時には喧嘩をしていた。
日本に戻った時、大学時代の後輩から、「随分丸くなりましたね」と言われ、「2年間で一生分怒ったから、あまり腹が立たなくなった」と答えたが、それは冗談ではなかった。
では、何故、20代の時と今で、これだけ違うかと考えると、
① 昔は、若くて地位もないのでなめられていた。
② 中国人の、他人へのあたりが柔らかくなった。
③ 中国生活が長いので、純粋な日本人の物腰ではなくなってきた。
④ 昔は、僕側の問題もあった。
などの理由が考えられる。

①に付いては、確かにあると思う(中国でも日本でも同じだが)。
では、若い人は救いがないではないか(いやな目に遭う事から避けられないのではないか)と言われそうだが、確かに、ある程度避けられない面がある。
これは全ての人が歩んできた道だ(年長者も若い時は不快な目に遭ってきた)と思い、ある程度はあきらめる必要がある。
②・③の理由もそれなりにある。
そして、④の理由が、結構重要だと最近は思う。
「嫌な奴だ」感じる時、たいていは相手も自分の事を嫌な奴だと思っている、と以前の同僚が言っていたが、言い得て妙だ。
49年生きてきて、この年になっても、毎年反省する事があり、その都度、自分の物腰を改めようと思う。
人と目が合ったらまず笑顔。少しくらい待たされてもむっとしない。
都度、ありがとう、すみませんと言葉をかける。
(飛行機内などで)棚の荷物の上げ下げを手伝ってあげる、後に続き人の為にドアを持っていてあげるなどの、細かい気遣いをする。
この程度の心がけで、相手の物腰はかなり変わる。
若い頃は、こちらの気遣いを相手が無視したら嫌だ、という気が先に立ち、なかなかそれが出来なかった。

ただ、それを期待せず行動してみれば、例えそれが中国であっても、9割程度の確率で返ってくる事が最近分かった。
例えば先日、後ろから来る若い中国人の二人連れの為に、ドアを開けて通してあげたら、次のドアで、ドアを開けて僕を待っていてくれた。
こんなことは、20代の僕にはできなかった。

何をした訳でもないけれど、表情がきついとか、むっとした顔をしているとか、そんな小さな理由で、相手が攻撃的になる事が意外に多い。
西洋人がオーバーアクションなのは、自分は敵でない事を見知らぬ相手に意思表示するためだと、以前、英語の教科書で読んだが、これは、東洋でも同じだ。
国際化が進めば、異文化・民族との接触が増え、生活上のリスク(衝突)も増加する。
細かい気遣いや好意の意思表示は、自分を守る術でもある。
まあ、まだ悟りが開けた訳ではなく、怒る事は有るのだけれど、気の持ち様と遣い様で、起こさなくてもよいトラブルは起こさないようにしよう。そう考えられる様になってきた、という次第。