社長来訪時の大騒ぎ

以前、ブログに書いた黒木亮の「アジアの隼」を読んでいて懐かしく思った事の一つとして、社長出張時のドタバタが有った。
勿論、社長の性格によって、ここらはまるで違い、例えば、僕が尊敬している辻前社長の場合、部下にも気を遣う方だったので、受入時の問題は全くなかった。
一方、それ以前の社長の場合、海外店全社を挙げて、てんやわんやの大騒ぎとなる場合も多く、ホテルやレストランをどうする、移動の道順は等の会議が続き、数週間仕事が全く手に付かない事もあった。
中には、部屋の中でチェックインできない、手作りおにぎりを差し入れなかった等の理由で当時の社長の機嫌を損ね、更迭された人間まで出る始末なので、たかがおにぎり、朝の粥といって、馬鹿に出来ない。
まさに、サラリーマン人生をかけての会食アレンジだ。

社長ほどではなくても、本社の取締役クラスや、ミッションが来る時も気を遣う。
人の性格はそれぞれで、ホテルの部屋ひとつとっても、良い部屋でないと機嫌を損ねる人、逆に、良い部屋を取ると機嫌を損ねる人がいる。
ここらを、はっきり言ってくれればよいのだが、誰も言わないので、秘書や、事情を知る人たちに電話をかけて聞きまわらなければいけない。
思い出に残るのは、2年程度の短命に終わった元中国総代表が、僕が所長をしていた厦門を訪問した時。
周りに聞くと、「良い部屋を取ると脇が甘いと言って怒るが、安い部屋の値段でアップグレードできれば喜ぶ」と言われ、「そんなの誰でも喜ぶわ!」と、ぶつぶつ言いながらアレンジした。
また、量働く事を信条としている人物だったので、部屋で休息、街中観光は絶対にしない。滞在時間は、ぎっしりと客先訪問、オフィスで業務報告を組まなければいけないが、当時の丸紅厦門事務所のビジネス規模は、それ程大きくなかったので、2時間も業務報告すれば、話す事もなくなる。
5分で済む話を30分かけて話したり、ワンブロック先のビルに移動する時、強引に島を反対周りに移動したりして、四苦八苦して時間を潰した
半年後、その総代表と会った時、「水野君、厦門は広いなあ」と言われ、苦笑いした。

僕が海外で、最初にミッションを受け入れたのは、25才の福州研修生の頃。
入社3年目の若造だったので、それまで話す機会が無いような取締役クラスが何人もくるミッションは恐怖であった。
厦門が社内で注目を集め出した頃なので、毎月の様にミッションが訪問し、通訳をしたり、レストランで同席したりした。
最初は緊張で、殆ど口もきけないくらいだったが、数回目に、「話をしないと、全く相手の印象に残らない。地位もない若造一人、どう思われてもいいので、思い切って話しかけてみよう」と開き直った。
その後、積極的に話しかけてみたら、優しく接してくれる人物が意外に多く、「怖がることはなかったんだ」と安堵した。
何事も経験で、入社3年目で、何人もの取締役を受け入れ、その世話をした事で、徐々に気持ちが吹っ切れ、物怖じしない性格になっていった。
地位のある人や、注文の多い人の相手をするのは、確かに厄介な面も多いが、今から思えば、若手時代にそれを経験できたのは、後の糧になったと言える。