変わり映えのしない週末

昨日(土曜日)は、10時に起きて、昼食を食べたらNNAの原稿2本執筆。
最近出た、「董事の個人所得税課税の変更」と、「来料独資転換時の無償提供設備の移管に関する意外な落とし穴」の解説。
いまいち文章がまとまらず、珍しく、2本書くのに4時間ほどかかってしまった。

それから、5KM走って、コンシェルジュの原稿1本と、金・土で頂いた質問の回答。
寝るのは午前2時。

今日は、9時頃目を覚まし、ブログを更新すると、仕事をしかかる自分を必死で抑え(さすがに、ちょっとは休まないとメリハリがつかない)、午後4時まで昼寝をしたり、本を読んだり、ひたすらごろごろ。

それから、スーツ1着と靴2足買って(靴とスーツが傷むのが、本当に早い)、5KM走って、さて一息。
これから仕事をする予定。

週明けに出さなくてはいけない見積り一件と、「中国ビジネス投資Q&A」の最後1個残ったQを執筆する予定。
Q&Aも、出版間近だ。
次の本の執筆にかかりたいから、早く終わらしたい!

そんなこんなの週末。

どうも、いつもの週末と変わり映えしない・・・
くつろぎもしないし、面白味もないなぁ。

これでいいのかとちょっと考えるが、まあ、しかたないかぁ。
もうしばらくは、24時間仕事の事が頭から離れない。
寝てても仕事の夢を見てるし、さっきは、食事中に原稿の最後の数行を考えてたら、机の上に胡椒振りかけてたし・・・


人民元対外決済が利用されないのは

日経新聞の一面に、「国際貿易人民元建て決済外資に解禁」という記事が出ていた。
確かに、目を引くニュースではある。

ただ、人民元の対外決済は、昨今、盛んに報道されている様に、活用が全く進んでいない。
では、活用が振るわない(人気が無い)理由は何かと言えば、一般的に言われている様に、「人民元決済は、香港・マカオ・ASEAN地域と、中国本土5都市(上海、広州、深圳、東莞、珠海)に限定した試行措置である事」や、「認可を受けた一部企業のみに認められている事」もあるが、一番重要な理由は、人民元決済をしても、「特段のメリットがないから」であろう。

いきなり、メリットがないと言い切るのも如何なものかとは思われるであろうが、現在の運用であれば、人民元決済をしたらこれが便利だ、という点が思い浮かばない。

これは、現在人民元決済が認められているのは貿易決済だけ(貿易外取引の決済は認められていない)で、更に、人民元建て貿易決済に付いても、外貨決済と同様の制限が加えられている事による。
つまり、外貨ではできない送金が、人民元だからできる、という訳では全くない。
おまけに、人民元決済条件の輸出取引に関する増値税還付の関連規定は、8月25日付けで簡単な通知がやっと公布された(国税函[2009]470号)状況で、それ以前は、増値税輸出還付に関する影響も懸念された。つまり、人民元建て決済であるが故のリスクが存在した訳だ。
現状でも、まだ実務がすぐ追いついてくるかが分かっていない。


結果として、人民元決済によるメリットは、中国企業側の為替リスクのヘッジのみという事になるが、契約通貨を人民元建てにする事は、どちらが為替リスクを負担するか、という力関係で決まるものであり、人民元決済が認められたからと言って、これが選択できるかどうかは別次元の問題だ。
更には、貿易契約の建値を人民元建てにする事自体は、2003年より認められていた(匯発[2003]29号)。
契約建値が同じ人民元で、決済通貨だけの違いであれば(規制・管理状況が同ならば)、「人民元建て外貨決済条件」を採用すれば良いだけの話で、わざわざ実績の少ない人民元決済をする必要もない。
そんな意味で、人民元建て対外決済は、今のところは、話題性だけで、利用者側にメリットは無いという感じがする。
まあ、人民元決済の活用が増え、銀行・税務局側もノウハウが蓄積されてくれば、「どうせ同じなら、換金ステップが省ける人民元決済にしておくか」という感じの活用は出てくるであろうが、まだそのステージには遠い。

ただ、7月から始まっている、人民元対外決済の試行措置は、将来的な人民元のハードカレンシー化の方向性を決める為の感触掴みの面が大きく、政府の対応もかなり慎重だ。
ボクシングで言えば、ゴングが鳴って、リング中央に歩み寄っていくところ(まだジャブも放っていない状況)という感じか。

その意味では、利用が進まない事は、政府側としてもシナリオ通りの事ではないか(敢えて、利用が進まない条件で開始したのではないか)、という気がする。

今後、状況を見ながら、徐々に手綱さばきを調整していくのであろう。
将来的に、香港側の人民元調達マーケットが拡大する(香港側で人民元の為替ポジションをスクェアにできる)という条件が整えば、若しくは、管理面の規制が緩和される等の措置が取られれば、人民元決済が一気に拡大する可能性もある。

当面は話題を作って、あとはじっくり時間をかけて、ゆったりと規制緩和を図っていこうという作戦なのではないかという気がする。

広州で小規模な講演会でもやろうかな

一昨日、飲んでる間兄弟船の方(杉浦さん)から、「水野さん広州来ないでしょ」と言われた。
広東省には頻繁に入っているが、宿泊するのは、月に1泊か、多くて2泊。
宿泊ベースで言われると、もっともだ。

広東省は香港から日帰り圏内なので、深圳・東莞に行く時は完全に日帰り。
広州まで行くと、まあ泊まるか、という気になるけど、日帰りの事もある。
そんな訳で、広東省で夕食を食べる機会は少ない。
起業早々は経費削減というのもあったのだが。
1997年に香港に赴任してから、10年くらいは、本当に広州によく行き、宿泊もしたので、それを思えば、ちょっとさびしい気もしてきた。

水野広州の副総経理の麦さんからも、「水野さん、もう少し来て下さい」と言われる。

お客様との面談時に、華東、華南、どちらで商売が取れますか?という質問をよく頂く。
これは、華東、華南のどちらがビジネスがホットか(日系企業の活動が盛んか)という趣旨であろうが、回答は、「僕のいる所で商売が取れる」という状況である。

僕が日本滞在中の時は日本で取れるし、上海にいると上海で取れる。
香港華南にいればそこで取れる。
まあ、僕の仕事は医者や弁護士と同じで、対談の結果、信頼してもらって初めて商売に繋がっていく訳なので、これは当然と言えば当然の事である。

そう考えると、「僕が広州でまともに営業をしていない」という麦さんの不満ももっともだ。
麦さんの要望もあるので、広州でセミナーか、勉強会をやろうかな。
起業初年で、あまりに講演会をやったので(数えてないけど、1年で40~50回やったのではないか)、これからしばらくは、月1回(多くて2回)を目途にしようと思っているので、開催するとすれば11月になってしまうけど。

テーマはどうしよう。
今年に入って、非居住者課税が強化されているので、税務関係者を担ぎ出して、小規模(30~50人程度)の勉強・対策会を開くのも良いかもしれない。
要検討だ。


4軒はしごの荒っぽい夜

兄弟船の厨房を通ってバーに抜ける(裏口)

水野さん、ブログに書いてくれて有難うございました!
と声をかけた男性は、兄弟船の方とその友人の方。

先日はブログに書いて頂いて有難うございました。JAZZ流してますから。
と言われる。

食事をした時のブログに、「美味しくて良い店だが、バックの演歌をJAZZに変えて欲しいなぁ」と書いたのを受けてのもの。
本当だったら嬉しいので、次回視察に行こう。
この裏に、バーを開きましたので来て下さい!と誘われるので、そのまま移動。
本当は、違う道から行くのであるが、裏口から(兄弟船の厨房経由)。

店の様子とLULUさん

本当のカウンターバー(LULUという店)。
若い日本人の男性と、中国人の女性がカウンターの中に入っている。
店の由来は、この女性の名前(LULUさん)からとの事。

広州には、カウンターバーが長い間無く、バー好きの僕としてはさびしかった。
焼酎バーしかないんだけど(この店自体は好きなのだけど)、収容人員少なかったし、なにより僕は焼酎が嫌いだ(オプションが無ければおとなしくのむが、焼酎とブランデーを飲んだ翌日は、何故か体調が悪い)。
という事で、焼酎バーにワインを持ちこませてもらったりしていたのだけれど、亀一の友人が開いたアロハという店が出来たり、このバーができたり、広州もだんだん変ってきたようだ。



そこで飲み終わると、兄弟船の方から、「水野さん。広州を好きになってもらわなくてはいけません。全然広州来ないでしょ!まだ飲みましょうよ」と言われて、スナックに。
「明日9時から打合せなんだけど・・・」というが、気迫に呑まれてもう一軒。
飲む事午前2時半近くまで。

飲み終わるとさすがにふらふら。
まだ飲みましょう!という誘いを振り切り(これ以上長くなると、朝働けない)、タクシーで市長大廈に。
瞬時に寝る。

後日、「猛反省しています!」というお詫びメールが入ったけれど、僕自身はこんなハプニングは嫌いではない。
翌朝はちょっと眠かったけど、まあ、気合いで乗り切ったし。
という訳で、なかなか荒っぽくも楽しい一夜であった。

いつでも来い!という感じ。

またの飲み会に備えるために、明日から3日間酒抜きだ。

中国の仕事は時間のロスとの戦い

福田口岸の駅と福田保税区

9月3日、まずは深圳・落馬洲から。
クライアントの方が長安鎮なので、深圳まで車で迎えに来て頂く。
深圳行きの電車は、羅湖行きと落馬洲行きの二種類あるが、落馬洲行きの方が新しくて綺麗だし、人も少ないので快適だ。
そんな訳で、落馬洲(福田口岸)でピックアップ頂く。

ここは、福田保税区のほど近く。
駅の向こうには福田保税区が見える。
とは言え、歩こうとすると、それなりに距離があるのだが・・・

深圳の駅でのピックアップは12時丁度だが、そこから東莞市長安鎮は、何だかんだで1時間くらいかかるので、車に乗って1時間。
打合せ開始は13時。
打合せを1時間半して、また車で駅まで行くと15時半。
16時発の高速電車で広州まで65分。
広州東駅からホテルまで歩いてチェックインすると、結局18時。
ちょっとE-mail整理をしたら会食。

香港を出発したのは10時なので、結局、移動時間が6時間。
中国での仕事は時間のロスとの戦いだ。
こんな時に、ブラックベリーで車の中でもE-mail処理ができるのが有難い。
あと、PC持ち歩いているので、文章も書けるし。

市長大廈で20数年ぶりの友人(元同級生)と会うと、天河で会食。
食事が終わると、焼酎バーで飲もうかと言う事に。
が、いつもながら場所が分からない。
う~ん、と考えて、ウェネバーの太田さんに電話をかけて、行き方を教えてもらおうとすると、「焼酎バーはまだあるんですが、お店の方は、新しい店を開いたのでもういません」との事。

「うわー!半分以上残ってて今度飲もうと思っていたウィスキーがおじゃんだ!」と絶望しかけたが、気を取り直して、新しい店の行き方を教えてもらう。
兄弟船の一階だ。
前よりゆったりしているのと、メニューが充実しているので良い。
他のお客さんが、そばを食べているので、頼んでみたらこれも美味しい。

こちらが今晩のキーマン

まあ、ウィスキーはなくなったが良しとするか、と思い、お勘定をしようとすると・・・
今晩のキーマンが登場。

それからの展開はこの次に・・・


広州で久々の湯船につかる

朝深圳経由で、東莞の長安鎮。
1.5時間ほどお客様と面談すると、広州に。
広州到着は午後5時。
広東省の仕事はなかなか時間を浪費する。

広州で宿泊するのは市長大廈。
ここに宿泊するのは、1年数か月ぶりだ。
起業1年は、ビジネスホテルに泊まると決めていたので、税サ込み300元のホテルに宿泊していた。

部屋自体は綺麗なので、中国語ができればさほど宿泊に支障はないのだが、湯船がないのがちょっと不便だった。
僕は、朝のんびり湯船につかって目を覚ますので。
一年が経過したので、久々に湯船のあるホテル。
ちょっとほっとする。

チェックインすると、偶然連絡がついた、大学時代の同級生と会食。
20数年ぶりの再開だ。

和やかに食事をして、焼酎バーで軽く飲んでホテルに戻る、
筈が、ちょっとしたハプニングで、バー2件ハシゴで、スナックに行く事に。

この経緯は、後ほど更新します!

ウェブ検索をしていると

久々に、自分の名前をヤフーとかグーグルで検索して見る。
会社のHPの整理(リンク先、表示等の修正)をしなくてはいけないので、その参考も兼ねて。

色々見ていると、知らない方がリンクはってくれていたりとか、紹介してくれていたりとか、「知らなかったぁ」という発見があり面白い。
しかし、最初に自分の原稿をウェブに載せたのが2001年。
何事にも蓄積というのがあるものだ、というのを、ウェブ検索していてもつくづく感じる。

ただ、リンクや紹介が、昔のM&Cという会社(既にない)のURL(mizuno-solution.com。これも既に閉鎖済)で、無効になっているのも多い。
まあ、時間の経過が解決するだろうが。
これは、会社を辞める事で影響があった、一番大きな事ではないかな。

因みに、今のURLは、http://www.mizuno-ch.com/です!

強く念じれば運命も変わるのかな

大学3年生の初めての海外旅行で、香港に3日ほど滞在した。
当時(1985年)不便だった中国本土での、長期滞在の後で到着した事も一因だが、すっかり香港が気に入って、「いつかここで働きたい」と思ったものだ。
入社試験(面接)の時も、「香港は夢がつかめる場所です」と、何度も言った気がする。

あと、29歳11カ月の時、横浜のベイブリッジからみなとみらいを眺めて、「知識を磨いて、売れるノウハウを身につける。そして何時か独立する」と言った。

それから月日が経ち、一応、香港で起業した訳なので、20代で言った事は、図らずしも実現した訳だ。
まあ、付随して、香港のオフィスは中国銀行ビルにとか、日本のオフィスはランドマークにとか(形容詞的な事)も言ったけど、これはあと数年かけて実現しよう。

30代以降に言った事もあるのだけれど、全力で仕事ができるうちに、言葉に出した事、胸に誓った事をどの程度実現させていけるか、というのは重要な事だ。

20代の頃の僕の発言も、根拠があった訳ではなく、憧れや若気のいたりという感じだった。
30代半ばの頃は、独立・知識を金にするというのを完全に諦めて、「やっぱだめだぁ」と、何度もため息ついていたものだ。
ただ、念じる力が強ければ、そういう風向きになってくるようだ。
僕の「香港赴任」、「コンサルティング開始」、「独立起業」というのも、多分に運が左右している。

香港赴任も、最初出たニューヨークの内示がひっくり返って決まったし、コンサルティングもたまたま当時の上司の思考と、中国進出ブームがうまく重なったのが僕にとって幸運だった。
独立起業も、何もなければ自分では決心していなかったろう。

口に出すと、それが運命の流れを作る様な気もする。

まだまだ口に出した事はある。
これから実現しなければいけない事は沢山ある。
まだ休めないな。


仕返しはゲテモノづくし

1997年、久しぶりに福建省に行った時の事。
福州研修時代に喧嘩した相手と、7年ぶりに食事をする羽目になった。
その間、彼との連絡は全くない。
彼の上司(僕を接待してくれた人)は、僕と彼が不仲な事を知らない。

「今日の宴会で食べたいものは?」
と彼の上司に聞かれたので、龍蝦(伊勢海老)は欲しいです。
と回答。
上司は彼に、「龍蝦を入れて。あとは、水野は久しぶりの福州なんだから、水野(日本人の客)が喜びそうなものを選ぶ事」と言う様な指示を出す。

いざ、会食が始まると、出てくるものは、
蛇の燻製、サソリ、蛙、その他のゲテモノばかり。
蛇は何度も食べたが、燻製は非常に食べにくい。
一応、龍蝦はあったが・・・

最後にデザートが出てきたら、相手がにやにや笑っている。
形状を見て、「これは噂に聞く蛙の卵ではあるまいか」と思い、食べるのをやめておく。
席上食べてる人は一人もいない(状況がつかめていない僕の上司を除き)。
食事が終わってから、隣にいた人間(彼の部下)に聞くと、やはり蛙の卵だった。

7年前の恨みを、日本人の食べられなさそうなもの尽くし(ゲテモノ食)で晴らされたか。
自分も殆ど食べられなかったろうに・・・
とげっそり。

因みに、その時一番の被害者は、僕と一緒に出張して会食に参加した僕の上司(中国語不可)。
「水野君、随分不思議な食べ物ばかりが出てくるねぇ。福州料理って食べにくいねぇ~」と、ちょっとピントが外れた発言をしながら、しっかり蛙の卵も半分食べていた。
さすがに、「あれ、蛙の卵でした」とは言えなかったなぁ。


即席オフィス

コーヒーショップをオフィス代わりにして仕事中

今日は4件の面談。
九竜側1件、香港側3件。

九竜側(ジョーダン)で午前中打合せ、チムサッツイのゲートウェーで昼食を食べ(フードコートでうどんを食べただけなので、約5分)、時間が半端に余ったので、40分間足マッサージをし、時間調整を兼ねて、スターフェリーで香港島。

これだけ聞くと、なんとなく優雅な感じがするが・・・
その実、スーツを着て歩きまわるので汗だく(起業してから、スーツが本当に早く傷む)。

1時間弱の中途半端なあまり時間の調整が難しい。
と、それなりに悩みはあるのである。

ただ、最近、ワイアレスでインターネットにつなげるし、スターバックス、Pacific Coffee、HABITUと、くつろぎやすい椅子が置いてあるコーヒー店も多い。
いたる所が、即席オフィスになるので大変便利。

その分、ちょっとした時間でも働かざるを得ないのと、PC抱えて歩くので、鞄が重くて肩がゴリゴリになるのが問題だが。

因みに、今日の午後の空き時間は、HABITUで調整。
インターネット対応もスムーズ。