中国が好きかと問われれば

最近、(特に中国人から)中国の事が好きか、と問われる事が多い。
中国(香港、台湾含む)に居住して17年半が経過したが、その間、良い事もあったし悪い事もあった。人との出会いもそうだ。
特に、今年の反日運動の様な事があれば、愛憎交えた気持になるのは当然だが、それでも好きだから、ここにいるのだろう。
何故、好きかと聞かれても、これは感性の問題で、答えはない。
ここで過ごした時間であり、積み重ねた経験であり、出会った人々がそう思わせる訳だ。
ただ、僕と同じ経験をしても、中国が嫌いになる人はいる。
中国人も同様で、日本を好きになる人もいれば、嫌いになる人もいる。
これは致し方ない事だし、間違ったことではない。
ただ、その感情が、自分の目で見て、感性でとらえた結果なら良いが、悪意を含んだインターネットやメディアに感情を操作され、相手を理解しない中で植え付けられたものであれば、残念な事であり、それ以上に、この様な情報の暴走は、非常に怖い。

(政治はさておき)国民感情という意味での反日、それに起因した日本人の対中感情の、厄介な点であり、同時に救いでもあるのは、「お互い、自分達は被害者だ(相手から傷つけられた)」と思っている点だ。
日本人の記憶には、大使館への投石や、日本車や日本料理店の破壊が有り、それが故に、自分たちは傷つけられたと思い、相手を嫌う。
一方、中国人の感情は、戦争中に遡る。
その時受けた破壊行為や身体的被害は、反日活動の比でないのは確かだし、終戦後、日本が急速な経済成長を遂げた時、中国は、日本人から下に見られていたという感情がある(更に、数百年さかのぼれば、その感情は逆になるのであろうが)。
それ故、日本人を嫌う。
憎悪を抱かせる情報の氾濫が、相手に対する肯定的な感情を押しつぶし、それにより、被害感情が、ますます複雑に入り組み拡大する。

加害者が被害者に与えた感情を、正しく認識するのは難しい。
ただ、人の記憶・感情に時効はなく、自分の取った行動は、何らかの形で自分に跳ね返ってくる。
日本人、中国人共に、この数年間、そして、数十年間に取った行動を認識し反省すべきだ。
相手に反省させるのではなく、自分で認識し、正しい方向に進むための判断材料とするのだ。

丹羽前大使の離任会見での、「日本はけしからん、中国はけしからんと言い合っていても何も生まれない」というご発言は、まさに正鵠を得ているし、日中関係に携わるたくさんの人々の気持を代弁して頂いているとも思う。
お互いの経済依存が進んでいる中で、これを断ち切れば、双方の経済に衝撃的なダメージがある。
その結果、自国の経済、雇用、生活、更には、生命の安全すら脅かされる。
必ずしも、日中友好でなくてもよいが、この現実はしっかり見据えて行動すべきだ。
悪意が善意を押しつぶす流れは、そろそろ断ち切るべきだ。

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