月別アーカイブ: 2009年8月
今週中にはQ&A改定作業完成
思った以上に進んだ。
2007年版のQが、全部で56個。
今回は、増値税輸出還付制度変更の経緯を削除(すでに、輸出還付制度が定着している中で、1994年からの推移を紹介する事に、あまり意義がなくなったと判断したため)、マカオの投資制度を削除。
全部で54個のQにする予定。
本日で52個完成。
残るは、香港経由の中国ビジネスと、配当金課税制度の二つ。
今週中には完成できるであろう。
今日の作業は、あとで記載するので、Q&A改定のカテゴリーを参照願いたいのであるが、ともあれ、全文修正したQがすごく多い。
感触で言うと、全体の70%位を書きなおしたのではあるまいか。
会計、企業所得税が変わり、増値税法改定の影響で、免税輸入制度・国産設備の増値税免除制度も変わった。
加工貿易保証金制度も変わった。
保税開発区はどんどんできた。
香港との租税協定も全面改訂された。
移転価格の制度は変わり(特別納税調整実施弁法が施行)、非居住者課税の制度も変わった。
保税区貿易会社等と言う制度(正規の販売権が無い販売会社)は、既に過去の遺物になりかけていて、今では、保税区の販売会社は、大部分が国内流通権・貿易権を持っている。
この3年弱の変化は、本当にすさまじい。
早く改訂版を出さなくては!という感じ。
ただ、今日は、筆が順調に進んだので気持ちいい。
もう一息だ!
新聞記事にかつての恩人をしのぶ
この方は、昨年、若くして他界されたのだが。
丸紅で勤務していた時、広報面では、この方に随分お世話になった。
M&C立ち上げの時も、取材の段取りをつけて頂くと共に、「現地で取材を受けた方がいい。その方が大きく取り上げられるから」とのアドバイスを頂いた。
更に、「水野は自由に話して構わない。新聞社の方には、僕の話した事は、全て丸紅広報部の確認済です、と言っていい」と言って頂いた。
その一言で、「この人には絶対迷惑をかけられない」と強く思った。
亡くなるまでの数年間、この方に頂いた助言・サポートには、いまでも感謝している。
懐が大きな方であった。
人は、人から信頼されて、初めて人に尽くそうと思うものだ。
ただ、部下を信じられない上司もいる。
リスク管理は必要であるが、全ての根底には、信頼がなければいけない。
これができずに、社内で魔女狩りの様な事をやっている人間も少なくない。
心が無い厳しさは上司の怠慢であり、品格の欠如だ。
リスク管理と聞こえの良いセリフを吐いているが、単に、人を信じる器、活かす器がないだけだ。
人としてどう生きるか、上司としてどう生きるか。
それは自ずと問われるものだし、その人間の品格として表れる。
結局、そんな事が起きて、僕が丸紅を辞める事になったのだが、外れくじを一個ひくまでの間、何人も、懐の深い上司、同僚に出会えた。
これだけ、良い上司に何人も出会えたのは、やはり感謝すべき事だろう。
そして、そんな方々に対しては、その信頼に答えようと頑張ったつもりだ。
権力には立ち向かうが、人の信頼には全力で応えたいと思う。
長いものに巻かれる事ができない僕の性格は、損でもあるし、賛否両論生むだろう。
それでも、沢山の方々が、理解してくれた。
他界された広報部長もその一人。
何もお礼が言えないままになってしまったが、一緒に仕事ができた事に、この場を借りて、改めてお礼がしたい。
有難うございました。
Q&A改定作業やっと再開
6月に、第二部のQ29~Q35を改定したまま、作業が完全にストップしていた。
引き続き、「まだですか?」と何人もの方から督促を頂いた。
やっと再開。
状況は以下の通り。
Q29(中国の会計規則)
会計準則の内容を記載する必要あり、全文修正。
Q30(会計年度の決定)
全文修正。
Q31(外国語帳簿の使用)
会計システムの使用に関して状況が変わっており、部分修正。
Q32(記帳通貨の決定)
微修正。
Q33(外貨会計)
半分程度修正。
Q34(固定資産)
税務が変更された事。会計準則の内容を追記する必要があるため、全文修理。
Q35(無形資産)
税務が変更された事。会計準則の内容を追記する必要があるため、全文修理。
Q36(棚卸資産)
同じく、全文修正。
Q37(引当金)
同じく、全文修正。
明日は、Q45くらいまで仕上げよう。
そうすれば、2007年版のQ(55個)より、ちょっと減って(マカオを削ったり、外資企業に対する優遇税制が無くなったり)全体で52個程度のQになるはずなので、まさに、もう一息、という感じだ。
それが終わると、用語集の改定だ。
亀一新聞に名前が載る
そしてついでに?(社長だからついでではないか!)、亀一の名前も社長として載っていた。
三十代前半で、社長として新聞に名前が載ると言うのはなかなかない事だ。
思い起こせば、僕が社長という肩書を始めてもらったのが36才の頃。
丸紅廈門有限公司の社長であった。
が、全く話題にならなかった。
事前に、「最年少の現地法人社長じゃないか」とかおだてられていたが、就任した時には清算(駐在員事務所への組織変更)が決まってたし・・・
次は、M&Cの時。
この時は、さすがに社長として名前が出たけれど、42才の事だった。
今回の新聞記事を一部頂いたので、早速、スキャンして、亀一に送った。
「両親や友達に自慢しな」とメッセージを付けて。
社長の仕事は、結構辛い。
この会社は、僕の期待が大きいのでなおさらだ。
という訳で、色々しんどいであろうが、節目節目で喜んでおいてもらおう。
もうすぐ1年だなぁ
最後の出社日は上海。
引き継ぎが終わったら、行きつけのシャンパンバー(CI5)で乾杯した。
もうそろそろ1年だ。
業務の順番(一週間毎に上海と香港華南を交代)から行くと、香港にいる日だが、できれば上海で、一周年を迎えたいな。
そして、ドンペリで祝いたいものだ。
生き残ったぞ!
という感じで。
これをやると、スケジュール調整が結構大変になってしまうので、どうなるか分からないけれど、個人の思い入れとしては、是非、やりたい。
こんな感じの、節目節目のお祭りは、活動の原動力になる。
10か月前(2008年の9~10月)は、スターバックスのコーヒーも飲めなかった人間が、記念日にドンペリ飲むか、とか言えるようになった。
確かな一歩だ。
そして、次の一歩が始まる!
怠けるのもけっこう難しい
まあ、今週は4件しか面談を入れなかったので、その意味ではのんびりムードとも言えるのであるが、一方で、期限を極端に区切ったご質問が多かった。
今日中に!明日の午前中に!
というのが、この2~3日で何本も来た。
普段は、あまりこの様なご指定はないのだけれど、続く時は続くものだ。
結局、何だかんだで、0時まで回答作りに追われる事に。
あと、いままで後回しになっていた、経理やら何やらの社内管理を整えようと数ヶ月前の書類と格闘する事しきり。
結局、あまりのんびりできなかったなぁ。
まあ、部下がそろって、皆な効率的に働いてくれているので、昨年や今年早々の忙しさとは全く違うけど。
怠けるのも大変だ。
給食の思い出
この話題は、年齢によってずいぶん印象が異なる。
僕の世代は、給食がまずかった。
僕は一回転校しているのだが(愛知県江南市⇒横浜)、小学校1~2年を過ごした愛知県の給食が特にまずかった。
何がまずかったかと言うと、「冬に出てくる脱脂粉乳」、「給食のおばさんが、よく焦がす」という事で、灰の浮いた給食を、かなしい気持ちで食べたものだ。
毎月1~2回焦げていた気がするので、確実におばさんの技術不足(手抜き?)だ。
あと、小学校の頃は、あまりご飯が食べられない子供だったので、冬は、おかずを(食欲旺盛な同級生に)あげる事を条件に、脱脂粉乳を飲んでもらったりしていた。
あと、子供のころはバナナが食べられなかったのも問題だった。
一度、(残すと怒られるので)食べ残したバナナをランドセルに入れて帰ったら、下校時に友達と遊んだこともあり、中でぐちゃぐちゃに。
ノート(昔なつかし、ジャポニカ学習帳)が、バナナでドロドロになっていて、「困ったぞぉ」と思ったものだ。
バナナぐちゃぐちゃ事件の数日後、本来は、クリスマスケーキが出るはずだったのに、工場の関係で、ケーキがでなくなり(という説明だった)、代わりにみかんとバナナが出た事がある。
みんなは、「やったー」と喜んでいたが、僕は、「またバナナだよ」と、「とほほ」という気分で暗くなった記憶がある。
今度は手に持って帰った気が。
そんなこんなで、小食だった子供時代の僕には、給食に対して良い思い出が無い。
今の給食はずいぶん美味しくなったとか。
うらやましいなぁとしみじみ思う。
亀一社長になる
昨年9月の起業以来、香港、上海、広州に法人を作ってきたが、これで日本拠点を確保。
新会社は、ちょっと毛色の違う会社であるが、今後の僕のビジネス展開にとって、極めて重要な位置付けの会社である。
情報配信ツールの確保は、ここ数年の僕の念願だったので、その第一歩となる仕掛け。
新会社の社長は亀一こと杉山竜一に任せた。
個人出資も10%してもらった。
この一年で、僕が矢継ぎ早に会社を作ったので、「何故そんなに会社ばかり作るのか?」と質問される事が多い。
また、昨年9・10月、僕の会社がまだ1社(Mizuno Consultancy Holdings)しかない時は、「何故、1社なのにホールディングスなんですか?」とか言われたけれど、最初から、この拠点作りを念頭に置いていたから、というのがその答え。
上海・広州の拠点作りについては、
広州を上海の分公司にする。若しくは、香港の常駐代表所にする、という選択肢もあった。
効率からすると、その方がよいとの考え方もあるが、会社を動かすのは人。
僕と働く事を、迷わず選択してくれた部下たち(3~12年間、僕と一緒に働いており、その意味では、僕の遺伝子を引き継ぐ連中だ)に、これは、自分の会社だと思って貰えるようにしたかった。
だから、部下のいる拠点すべてを法人にして、出資をさせ、社長を任せようと思った。
上海、広州は、僕と長年働いてくれている部下を董事・副総経理にしているが、近い将来、董事・総経理にするつもり。
それが、全てを法人にした理由である。
だから、今後も、即戦力となる人間を、高給と高待遇で採用する事はしない。
あくまでも、僕と苦労して戦ってきた部下たちに、会社作りを任せたい。
そして皆な、その想いに応えてくれると思う。
因みに、合弁会社の「チェイス・チャイナ」というのは、亀一と僕が、沖縄料理の「ちゅら」で昼食を食べている時、亀一がタンシチューを食べながらふと思いついた名前。
僕は、「チャイナ・ビジネスコンテンツとか、そんな名前がいいんじゃない?」と言ったのであるが、社長をやる人間の意見に従った。
今の社名を聞いた反応は、大薗さんも、僕も、「チェース・マンハッタンみたいだね」というものだったが、この銀行名は、10年近く前に無くなっており、亀一は、その銀行名自体知らなかった。
ともあれ、昔から、社長になりたい、社長になりたいと言っていた亀一が、とうとう社長になった(年齢的にはかなり早いが)。
僕の夢を実現する為に、極めて重要な仕組みとなるのがチェイス・チャイナ。
これを基軸にして、どんどん、仕組みを作っていく。
提携、新規商品開拓を絶えず仕掛けていく予定だ。
自分の持分を減らして、39%出資にしてまでも、効果の極大化を目指した事は、その思い入れの表れだ。
この僕の想いに、どんな答えを出してくれるのか、新米社長の腕前を拝見したい。
上海エクスプローラーと合弁会社設立
概要は以下の通りです。
社名 株式会社チェイス・チャイナ(日本法人)
資本金 9百万円
出資者 上海エクスプローラー51%、Mizuno Consultancy Holdings 39%、杉山竜一10%
代表取締役 杉山竜一
業務内容
チャイス・チャイナのサイト(元、上海エクスプローラー内「中国ビジネス解説」)での、中国ビジネスコンテンツの配信。
中国ビジネス誌の刊行
E-Learning
出版
アジアビジネス情報の配信
2009年8月1日より、旧中国ビジネス解説のサイトを刷新しました。
今後、中国ビジネスレポート、法律集、ビジネス文書ひな形、中国ビジネスインフラ等のコンテンツの充実を図ります。
また、2ヶ月以内には、動画配信を開始(E-Learning関連より開始)。
年内には、中国ビジネス誌の刊行を予定しています。
また、来年以降、アジア関連のビジネス情報の収集・整理を実施し、アジア全域のビジネス情報の規範化を目指します。
僕自身も、2001年に上海エクスプローラーに原稿を機構した事が、その後の、連載、書籍出版、コンサルティング事業開始のきっかけとなりました。
著名な執筆者の原稿を掲載させて頂く努力をするのは当然として、チェイス・チャイナでは、潜在能力を秘めた執筆者の開拓も積極的に行っていきます。
我と思わん方は、是非、ご連絡下さい。