Q&A大改訂もほぼ終了

台湾出張をバックデート更新中ですが、ちょっとQ&A改定の報告を・・・

本日、「中国ビジネス投資Q&A]改訂版の全原稿を書き終えました。

第一部は、一回目のゲラ構成もすんで、第二部もほぼ終了。
出来れば9月末に、印刷に回せる段階にできればと考えています。

しかし、今回の改定は大変でした。

会計が変わり(新企業会計準則の内容を加えた)、税制が変わり(企業所得税法の内容に修正)、増値税が変わり(免税輸入制度等も大幅に変更)、非居住者課税制度が変わり(源泉徴収形態から、P/E課税まで変更)、移転価格税制をはじめとする国際課税が変わり、保税開発区の種類も大きく変化。
おまけに、中国本土と香港の租税協定や、日本の税制が変わったので、対中投資のフォーメーションにも大きく変化が生じています。

殆どのQを書きなおし、全体の約半分のQ(25個)は、全面書き換えの状況。

初めから書き直すよりはよいものの、結構、それに近い労力がかかりました。

ただ、これだけ激しい制度改定があったのに、旧版を書店に並べておくのは、さすがに申し訳ない。
その一念で、必死の改定作業となりましたが、もうすぐ終了。

今日は、根詰めてこの作業に取り組んだので、このブログを打っている今も、息苦しく(胸苦しく)、早く、この作業から解放されたい気持ちでいっぱいです。

とは言え、今、書きたい本があるので、国慶節には、この準備作業に入ってしまうのでしょうが・・・

台湾の思い出は牛肉麺の思い出

午前の面談は台北101の近く。
久しぶりに見たが、改めて見ると高いものだ・・・

高層建築が多い、香港、上海に慣れてはいるが、周りにあまり高い建物が無いだけに、突出した高さが印象に残る。
取り合えず、撮影。


午前の面談が終わると、近くを歩いて、牛肉麺屋に入る。

1988年に台湾研修をしている時は、実は、牛肉麺があまり好きではなかった。

実は、台湾も好きでなかった。
台湾を好きになったのは、離れてからでの事である。
1990年以降(福建の実務研修から帰国して以降)、休暇があると旅行をする様になり、友達や学校の先生に会いにいったりした。

それから長い間台湾訪問の機会がなく、2002年に11年ぶりに訪問したが、その時、本格的に台湾が好きになった。

台湾研修の頃は、台湾に馴染めず、早く離れたいと、一年間思い続けていたもの。
何故あれだけ嫌だったのか分からないが、恐らく生まれて初めて外国に住んだので、僕自身、適応能力が無かったのであろう。

そんな訳で、当時は台湾の雰囲気のあるものがことごとく嫌いで、牛肉麺は、その典型だった(台湾でいう牛肉麺は、日本のラーメンの様な感覚)。

それが、今は、台湾に来たら、必ず牛肉麺を食べねば!という気分になる。
嫌いが好きになってしまったら、食の嗜好にも影響を与えたのであろう。
牛肉麺自体は、香港で食べても上海で食べても、あまり味は変わらないと思うが、台湾に行くと、何故か「食べねば!」と意気込んでしまう。

路地を歩き、適当に昼食を食べる店をさがす。
クーラーがあまり効いていない、小さな飯屋に入り牛肉麺を頼む。

一杯NT$80(240円程度)。
今回の台湾滞在一回目の牛肉麺なので、味わって食べる。
ごく普通の味ではあるが、台湾に来たぞ、という気がしてしみじみ嬉しい。


手品好きのタクシー運転手さん

タクシー運転手さんが作ってくれた風船のトンボ

朝の面談は11時から。
10時半にホテルを出て、面談先に向かう。
ちょっと離れた距離にあるので、タクシーで20分くらい。

タクシーの運転手が手品好きの様で、信号待ちの時に、手品を見せてくれたりする。
更には、途中で風船を膨らませてトンボを作ってくれる。

以前も、台湾のタクシーで、マイクを渡され、「歌う?」と聞かれた事があったし(カラオケ設備内臓車だった)、歌わないというと、「では雑誌は?」とか、「飴食べる」とか聞かれた事がある。
別に、追加料金を取る訳ではない。

そんな事を思い出しながら、「如何にも台湾て感じだなぁ」と、懐かしく思う。
こんな雰囲気が、台湾の良さだ。

因みに、作ったトンボは、車を降りる時にくれた。

せっかく作ってくれたものを、途中で捨てるのは申し訳ないので、一日5件面談を、とんぼ風船を抱えて実施する事になった。

結構かさばったが、何となくほほえましい気分になった。


5年ぶりの台湾出張

久しぶりの台湾出張だ。
どれだけ久しぶりか、全然イメージが湧かなかったが、思い返すと5年ほど出張していないようだ。
大変懐かしい。

空港に到着すると、バスで市内まで。
座席がゆったりしたバスが、NT$140(400円ちょっと)なので、安いものだ。
台北駅からタクシーに乗ってホテルまで。

中山路と南京路の交差点にある、老爺イン。
ロイヤル台北と同系列のビジネスホテルだ。
泊まるのは初めてだが、価格もリーゾナブルで、部屋も綺麗。
これはいいな。
次回もここに泊まろう。

茶色いビルがロイヤル台北

因みに、窓からはロイヤル台北が見える。

ここは、僕が台湾研修生の時(1988年)すでにあって、何回か泊まったし、2003年12月には講演会も開いた懐かしいホテル。

ユーザンス規制再緩和はいいけれど

2009年9月1日より、ユーザンス・前払・前受け規制に関する再緩和が実施されている(企業貿易信用登記管理に関する問題の通知:匯綜発[2009]108号)。

それはいい事だが、対象となっている貿易信用ユーザンス登記というのは、昨年の7月に公布され、10月1日から施行されたものだ(匯発[2008]30号)。
公布当初から、無理がある無理があると言われていて、僕自身も、昨年8月時点で「年内に規制緩和が行われる筈」という予想をNNAの連載で書き、更に、昨年末には、「一層の規制緩和が、2009年内に実施されるだろう」という予想を書いたが、その通りになった。
というか、ここまで細切れに規制緩和が行われるとは思っていなかったが。

何分、施行後11ヶ月で、既に4回目の規制緩和である。
施行が2008年10月1日で、その後の規制緩和は、2008年 12月(匯発[2008]73号)、2009年 4月(匯綜発[2009]36号)、2009年 6月(匯綜発[2009]78号)、2009年9月(匯綜発[2009]108号)となっている。

今回の規制緩和の結果、金額基準が引き上げられ(ユーザンス、前受・前払全てに対して、US$ 5万以下は登記不要となった)、輸入ユーザンス、前受、前払に付いて、登記残高は、直近12ヶ月の対外決済実績の30%となった。

しかしながら、この矢継ぎ早の規制緩和は、ちょっと不自然な感がある。
こんな形で規制緩和をするなら、「そんな規制出さなきゃいいのに」と言いたいところであるが、外貨管理局側も、「出さなきゃよかった」と思っているのかもしれない。

何れにせよ、2005年に外資企業の人民元建て借入金(外債登記対象外の借入金)に関する総額規制が実施され、年内に実質的な規制撤廃が行われた事があったが、今回もまさに同様のニュアンスがある。

無理がある場合(実務に著しい支障が生じる場合)は、恐れず出した規制の撤回をするのが中国のよいところでもあるのだが、そもそも、今回の様に、当初から無理があると分かっている様な規制は、出して欲しくなかった(もう少し、無理がない形で出して欲しかった)というのが実感。


新しいバー(MARDI GRAS)

アップするタイミングを逸してしまっていたが、先週の豊田さんを讃える会の後、数名が「もう一軒行きましょう」と言い、金さんに連れられて新しいバー(レストラン&バーかな?)に行った。

興国路のMARDI GRASという店で、会食場所(余慶路)から歩いてすぐ。
開店2週間との事。

落ち着いた良いバーだ。

これくらい立派だと、維持費大変だろうなぁ・・・
と考えてしまうくらい。


体調本格回復

先週より、100%とはいえない体調が続いていたが、何とか本調子に戻ったようだ。
今日は、すがすがしい気分。

香港の天気の方は、台風の名残か、大雨が降ったり、急にやんだり。
あまり外出したくなる天気ではないが・・・

ストリートビューで焼鳥屋を見る

グーグルマップを見ていたら、ストリートビューとかあって、次第にはまってしまった。
28才の頃に、西葛西に半年間住んでいた事があって、何となく懐かしくなって、街が変わっていないかチェックする。

あの頃、鳥繁という店が行きつけで、よく行っていたものだ。
まだあるかなぁ、と思っていたら、思わぬ人気店になっているのを発見!

当時は、近所に二軒焼鳥屋があって、流行っていない方が鳥繁。
それでも、店員さんが、20代の若い男性数名で、人のよさそうな感じ(大学の頃、数ヶ月いた軽音楽クラブにいた善良そうな青年達)だったのが気に行って、よく行っていたものだ。

楽しそうに、煙だらけになって串を焼いたり、嬉しそうに賄い飯をかっこんでいる姿がほほえましかった。

次回の日本では、是非とも西葛西の鳥繁行きたいが、なんと、17時の開店前から行列ができる店になっているそうな。
店員さんも、当然皆変わってるだろうし。

時は流れるものだなぁ。
この時間じゃあ、休日しか行けないな。

しかし、あの当時住んでいたマンションがまだあった。
恐るべし、ストリートビュー。


台風到来(シグナル8)

朝から風が強かったが、台風接近。
お昼にはシグナル3になり、夕方にはシグナル8に。
夜の会食は残念ながら延期。
家で仕事をする事に。

しかしながら、思い出すのは昨年の8月。
たしか2回シグナル8があったが、その両方、会食だった。

両方、丸紅関係者。
「シグナル8ですから、無理ですかねぇ」というのを、「いや。やろう」と力強く答える相手。
両方とも(違う人)、何件も電話をかけて、空いている店を探してくれた。
2回目の方は、すごい風と雨だったので、やっている店がほとんどない。
1時間以上、電話をかけ続け、シェラトンホテルの雲海が空いている!と勇んで電話をかけてくれた。

両方とも二次会まで。
2回目の方は(シグナル9になってしまい)、ペニンシュラホテルの正門が、台風対策でふさがれる中、ロビーバーが空いていたので、ウィスキーを飲んだ。

建物の中からも聞こえる、ゴーゴーと唸る風の音に、「帰れるんだろうか・・・」と大変不安だったのを思い出す。
退職をあと数日に控えた、まさに、嵐の中の旅立ちだった。

どんな環境下でも、物怖じせずに、二次会まで行くのが商社マンの習性か!?
されはさておき、そんな感じで、送別会を開いてくれた人の気持ちが、すごく嬉しかった。
因みに、帰りついたら、傘の骨がぼきぼき折れていた。

さて、今年のシグナル8。
明日夜の会食予定の江口弁護士が、今晩到着する予定だけど、無事に香港到着できるかな?

太古城⇒尖沙咀(的士司機との戦い)

飛行機の大幅な遅れで、前夜寝付いたのは明け方3時だったが、今日は朝一番で打合せだ。
前の日によく寝て、体調が回復したと思ったら、また疲れて悪くなった感じ。

朝一番で処理しなくてはいけないE-mailがあったので、睡眠を3時間しか取っておらず、しんどい。
前夜、交通費をケチったのが、体に負担をかけた元凶なので(エアポートエクスプレス&タクシーでHK$ 180かかるのを、HK$ 45で抑えようとしたのがいけなかった)、交通費で細かい金額をケチるのはやめようと決心する。
良きに付け悪しきに付け、この1年で、経費削減が強迫観念になったようだ。
黒字化を受け、ちょっと元にもどそう。
よって、太古城からタクシー。

太古城から、チムサッツイ、ホンハムは、非常に交通の便が悪い。
タクシーで行くのがいちばん早いが、8割の確率で言われるのが、「セントラルトンネルは混んでるから、イースタントンネルで行かせろ」という事だ。
ただ、確かにイースタントンネルは空いているが、トンネルを抜けてからが必ず混んでいる。
結果的に時間は同じか、却って時間がかかり、距離は長いので8割増しの料金を取られる。
そんな訳で、イースタンで行かせろ、という要求は断る事にしている。
毎回同じ事を言われるので、「イースタンは出てからが混んでるので、時間は結局一緒だ。セントラルで行ってくれ」という広東語が、すんなり言える様になってしまった。


今回も、セントラルトンネル!と3回連呼したのだが、なかなか手ごわい運転手で、それでも勝手にイースタンに行こうとする。
「ちょっと待て!何でイースタンに行こうとするんだ!!」と叫び、進路を変えさせる。

凶悪な顔をした運転手、運転しながら、「こんなに混んじまって、時間無駄で、いい迷惑さぁ!」的な文句を、何度も何度も、口を歪めてブツブツ言う。
ジャッキーチェンの映画に出てきそうな、典型的なシチュエーションだ。

こっちも腹いせに、秘書の水嶋さんに電話をかけて、「イースタンは、結局時間がかかるのに、運転手が文句言ってんだよ」とぶつぶつ言う。

車の中、男二人の陰険合戦だ!?

とは言え、思ったより早く到着。
道路の状況はよい感じ。
40分程度で目的地に。
絶対、イースタン使っていたより早く着いた筈だ

運転手は、ふてくされて一言も言葉を発しないが、細かい客だと思われたようで、かなり細かくお釣りとレシートをくれた。

まあ、何やらわからないが、よしとしよう。
しかしながら、太古城から九龍行きタクシー、毎度ながら大変疲れる。